明治維新

古神道入門

招魂社と護国神社とは?幕末の招魂場から全国の護国神社まで、戦没者をお祀りする神社の歴史

各地にある「護国神社」は、もとは「招魂社(しょうこんしゃ)」と呼ばれていました。幕末に各藩が設けた招魂場、明治の京都霊山と東京招魂社(今の靖国神社)、昭和14年の「護国神社」への改称と、1府県1社を原則とした指定護国神社まで、戦没者をお祀りする神社の歩みを紹介します。「招魂」という言葉の意味も。
古神道入門

大村益次郎とは?医者から日本の近代兵制の父へ 靖国神社に立つ日本最初の西洋式銅像の人物

東京・九段の靖国神社に立つ大村益次郎の銅像は、明治26年に建てられた日本最初の西洋式銅像とされます。周防の村医者の家に生まれ、適塾で蘭学を学び、やがて長州藩の軍制改革と戊辰戦争を指揮し、日本の近代兵制の基礎をつくった人物です。その生涯と、東京招魂社とのかかわり、暗殺までを紹介します。
古神道入門

神仏習合と神仏分離とは?「権現」「大菩薩」の時代から明治の大転換まで、神社とお寺の千年

明治になるまで、日本の多くの神社とお寺は一つにまじり合っていました。神様は「権現」「大菩薩」と呼ばれ、神社のおつとめを僧侶がしていることも珍しくありませんでした。それが明治の神仏分離で、大きく変わります。三峯神社の仁王門が隨神門になった話、寳登山神社の住職が神職になって社殿を建て直した話など、身近な神社に残る神仏習合のあとをたどります。