この記事で分かること
日本の各地には、「〇〇県護国神社」という名前の神社があります。
これらの神社は、もともと「招魂社(しょうこんしゃ)」と呼ばれ、国のために亡くなった人々をお祀りしてきました。
幕末の招魂場から今の護国神社まで、その歩みを史料にもとづいてお話しします。
招魂社と護国神社を一言でいうと
戦いで亡くなった人々の魂を招いてお祀りするためにつくられ、のちに「護国神社」と名前を改めた神社です。
東京の靖国神社も、はじめは「東京招魂社」という名前でした。
言葉の意味を見てみよう
- 招魂(しょうこん):亡くなった人の魂を招くこと
- 護国(ごこく):国を守ること
「招魂社」は亡くなった人の魂を招いてお祀りする社、「護国神社」は国を守る神様となった人々をお祀りする神社、という意味です。
招魂社の歩み【史料】
幕末の招魂場
コトバンク(世界大百科事典など)によると、幕末から明治維新のころ、各藩はそれぞれ「招魂場(しょうこんじょう)」を設けて、戦いで亡くなった人々の慰霊祭を行いました。
京都霊山と東京招魂社
明治元年(1868年)には、京都の東山に霊祠(れいし)が設けられました。今の京都霊山護国神社です。
翌明治2年(1869年)には、東京に東京招魂社がつくられました。今の靖国神社です(コトバンク)。
その後、各地にも招魂社がつくられ、全国で100社あまりになったといわれます。
靖国神社については、靖国神社の記事で紹介しています。
昭和14年、「護国神社」へ
コトバンクによると、昭和14年(1939年)、前年の内務省令によって、各地の招魂社は「護国神社」と名前を改めました。
そして、1府県に1社を原則として、府県社に相当する社格を持つ「指定護国神社」が定められ、社名に「〇〇県護国神社」のように府県名をつけることになりました。
指定護国神社は、はじめ33社、終戦までに46社になったそうです。
戦後
第二次世界大戦のあと、護国神社は神社本庁に属する宗教法人となりました。
今も、各都道府県に1社以上の護国神社があります(コトバンク)。
古神道的な読み解き
魂を「招く」ということ
「招魂」という言葉は、亡くなった人の魂を呼び寄せ、お祀りすることを意味します。
日本では古くから、亡くなった人の魂は、お祭りの日に招かれてやって来る、と考えられてきました。
お盆に先祖の霊を迎える風習も、その一つです。
お盆の信仰については、みたままつりとお盆の記事で紹介しています。
人を神様としてお祀りする
招魂社や護国神社は、亡くなった人を神様としてお祀りする神社です。
こうした信仰の歴史については、人を神様として祀る信仰の記事で紹介しています。
まこも考察
ここからはまこもの考察です。
招魂社の歴史を調べていて、僕がいちばん心をひかれたのは、そのはじまりが「各藩の招魂場」だったということです。
国がまとめてつくる前に、それぞれの土地の人たちが、自分たちの仲間を弔う場所をつくっていた。
その土地の人々が、その土地で亡くなった人を、その土地でお祀りする。
護国神社が今も「〇〇県護国神社」と土地の名前を持っているのは、その始まりの形が残っているからなのかもしれません。
招魂社・護国神社が登場する作品
公式の情報で確認できた作品がなかったため、ここでは紹介を控えます。
まとめ
- 護国神社は、もとは招魂社と呼ばれていました。
- 幕末から明治維新のころ、各藩が招魂場を設けて慰霊祭を行ったのが始まりです。
- 明治元年に京都霊山、明治2年に東京招魂社(今の靖国神社)がつくられました。
- 昭和14年に招魂社は護国神社と改称され、1府県1社を原則とする指定護国神社が定められました。
- 戦後は宗教法人となり、今も各都道府県に1社以上あります。
土地の人々が、土地で亡くなった人を弔う場所から始まった神社。
招魂社と護国神社は、亡くなった人々を忘れずにお祀りしようとする心を伝えています。
よくある質問(FAQ)
Q. 招魂社と護国神社はちがうのですか?
A. 同じ系統の神社です。昭和14年に、招魂社が護国神社と名前を改めました。
Q. 靖国神社も招魂社だったのですか?
A. はい。明治2年に東京招魂社として創建され、明治12年に靖國神社と改称されました。
この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。
出典・参考文献
- コトバンク「護国神社」(世界大百科事典など) https://kotobank.jp/word/護国神社
- 靖國神社 公式サイト「靖國神社について」 https://www.yasukuni.or.jp/history/


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