おのころ島はどこにある?沼島・自凝島神社・絵島・友ヶ島、国生み最初の島の候補地をめぐる

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この記事で分かること
おのころ島は、国生み神話で伊邪那岐命と伊邪那美命が最初につくった島です。

でも、その島がどこにあるのかは、古事記にも日本書紀にも書かれていません。
各地に残る「ここがおのころ島だ」という候補地と、その根拠とされるものを、史料と伝承に分けて紹介します。

おのころ島を一言でいうと

天沼矛(あめのぬぼこ)の先から滴った塩が固まってできた、日本で最初の島です。

二柱の神様は、この島に降りて柱を立て、そこから国生みを始めました。
いわば、日本神話の「スタート地点」なんです。

名前の意味を見てみよう

  • おの(自・淤能):自分から、ひとりでに
  • ころ・ごろ(凝・碁呂):固まること
  • しま(島):島

「自(おの)ずから凝(こ)り固まった島」。
誰かが土を運んでつくったのではなく、矛から落ちた塩がひとりでに固まってできた島、という意味だと考えられています。

漢字で「自凝島」と書くのは、この意味を表したものです。
古事記の「淤能碁呂島」、日本書紀の「磤馭慮島」は、音に漢字を当てた書き方です。

どの文献に出てくる?

古事記【史料】

故、二柱神立天浮橋而、指下其沼矛以畫者、鹽許々袁々呂々邇畫鳴而、引上時、自其矛末垂落之鹽、累積成嶋、是淤能碁呂嶋。

読みやすくしてみると、「二柱の神は天の浮橋に立って、その沼矛を下ろしてかき混ぜた。塩をこおろこおろとかき鳴らして引き上げると、矛の先から滴り落ちた塩が積もって島になった。これが淤能碁呂島である」。

二柱はこの島に降りて、天の御柱を立て、八尋殿(やひろどの)という大きな御殿を建てます。
そして柱をまわって結婚し、国生みが始まります。

日本書紀【史料】

其矛鋒滴瀝之潮、凝成一嶋、名之曰磤馭慮嶋。

読みやすくしてみると、「その矛の先から滴り落ちた潮が固まって一つの島になった。これを磤馭慮嶋という」。

日本書紀の本文では、このあと二柱が島に降りて国を生むとき、最初に「淡路洲(あわじのしま)」が胞(え:胎盤のこと)として生まれた、と書かれています。

古事記と日本書紀をくらべると

古事記日本書紀(本文)
表記淤能碁呂島磤馭慮嶋
矛天沼矛天之瓊矛
島になったもの塩潮
最初に生まれた国淡道之穂之狭別島(淡路島)淡路洲(胞として)

どちらの書物でも、おのころ島の「場所」は書かれていません。
ただ、国生みの最初に淡路島が出てくることから、おのころ島は淡路島の近くだったと考える人が多いんです。

国生みの物語全体は、国生みの記事で紹介しています。

おのころ島の候補地【伝承】

ここからは、各地に伝わる候補地を紹介します。
どれが正しいかを決める史料はなく、どれも諸説あるうちの一つです。

沼島(兵庫県南あわじ市)

淡路島の南の沖、約4.6kmに浮かぶ小さな島です。
上空から見ると勾玉のような形をしているといわれます。

島には、山そのものを御神体とする自凝神社(おのころ神社)があり、伊弉諾命・伊弉冊命がお祀りされています(兵庫県神社庁)。
東の海岸にそびえる高さ約30mの「上立神岩(かみたてがみいわ)」は、天沼矛、あるいは天の御柱だと伝えられています。

百科事典の解説では、平安時代の『新撰亀相記(しんせんきそうき)』や鎌倉時代の『釈日本紀(しゃくにほんぎ)』で、おのころ島が沼島に当てられていると紹介されています。
近世以降は、沼島説がもっとも有力とされてきたともいわれます。

自凝島神社の丘(兵庫県南あわじ市榎列)

淡路島の南部、田園の中にある小高い丘に、自凝島神社(おのころじまじんじゃ)があります。
旅行読売によると、この丘が国生みの舞台となったおのころ島だと伝えられています。
今は陸地ですが、縄文時代の海が広がっていたころには入江だったと考えられています。

南あわじ市のページによると、御祭神は伊弉諾命・伊弉冉命で、菊理媛命もあわせてお祀りしています。
高さ21.7mの大鳥居は、「日本三大鳥居」の一つとされています。

絵島(兵庫県淡路市岩屋)

淡路島の北の端、岩屋港のすぐそばに浮かぶ小さな島です。
旅行読売によると、約2,000万年前の砂岩や礫岩でできていて、古くから景勝地として和歌にも詠まれてきました。

百科事典の解説では、江戸時代の国学者・本居宣長が『古事記伝』で絵島をおのころ島とみた、と紹介されています(宣長は淡路島近くの小島の一つとみた、とする解説もあります)。

友ヶ島(和歌山県和歌山市)

和歌山市の加太の沖、紀淡海峡に浮かぶ、地ノ島・沖ノ島などの島々の総称です。
平安時代の『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』にもとづいて、友ヶ島をおのころ島とみる説があると紹介されています。

そのほかの説

淡路島そのものをおのころ島とみる考え方や、九州など淡路島から遠く離れた島を候補とする説もあります。
また、おのころ島は実在の島ではなく、神話の中だけの島だと考える立場もあります。

日本遺産「国生みの島・淡路」

沼島、自凝島神社、絵島は、どれも日本遺産「国生みの島・淡路~古代国家を支えた海人の営み~」の構成文化財になっています。

一つの日本遺産の中に、おのころ島の候補地が三つも入っている。
「どれが本物か」ではなく、「淡路島のまわりに国生みの伝承がこれだけ残っている」ことそのものが、大切な文化として認められているんですね。

古神道的な読み解き

なぜ淡路島のまわりなのか

候補地の多くが淡路島のまわりに集まっているのは、古事記・日本書紀のどちらでも、国生みの最初に淡路島が登場するからです。

旅行読売の解説では、国生み神話のもとは、弥生時代に淡路島に移り住んだ海人族が大和の朝廷に伝えた「島生み神話」ではないか、という推測が紹介されています。
淡路島は、大和の朝廷に海の幸を届けた「御食国(みけつくに)」の一つでもありました。

海の民が、自分たちの島々の誕生を語った物語。
それが、日本全体の国生みの物語へと大きく育っていった、という見方です。

「自ずから凝る」ということ

おのころ島は、「自ずから凝った」島です。
神様は矛でかき混ぜたけれど、島そのものは、塩がひとりでに固まってできました。

神様の働きかけと、自然のひとりでに生まれる力。
その二つが合わさって、最初の陸地が生まれる。
日本の神話には、「つくる」と「なる」が重なり合う考え方が、最初の場面から表れているように思えます。

まこも考察

ここからはまこもの考察です。

おのころ島の候補地を調べていて、僕が思ったのは、「どこにあるか分からない」ことにも意味があるのかもしれない、ということです。

もし古事記に「おのころ島は沼島である」とはっきり書かれていたら、ほかの場所の伝承は生まれなかったはずです。
書かれていなかったからこそ、沼島の人も、榎列の人も、岩屋の人も、自分たちの土地を「最初の島」として大切に語り継いできました。

それはきっと、自分たちの暮らす場所を「神様が最初に立った場所」だと思いたい、という素朴な誇りだったのだと思います。
そしてその誇りが、千年以上も神社やお祭りを守る力になってきた。

おのころ島は、地図の上の一点ではなく、淡路の人たちの心の中に、いくつもあるのかもしれません。

ちなみに僕は、自分の部屋の中で鍵がどこにあるのかも分からなくなるので、おのころ島が見つからないのも無理はないと思っています。

伝承・関連する話

【伝承】上立神岩は天の御柱

沼島の上立神岩は、二柱がまわった天の御柱だと伝えられています。
柱の伝承については、自凝神社の記事でも紹介しています。

【伝承】鶺鴒石

自凝島神社の境内には、「鶺鴒石(せきれいいし)」という石があります。
日本書紀の一書に、二柱が鶺鴒(せきれい)の動きを見て夫婦の交わりを知った、という話があり、それにちなむ石だと伝えられています。

おのころ島が登場する作品

「おのころ島」という名前は、神話をもとにした多くの作品に出てきますが、特定の候補地と結びつけた公式の情報は確認できなかったため、ここでは紹介を控えます。

あわせて、自凝島神社の記事、天の御柱の記事、国生みと淡路の海人の記事もどうぞ。

まとめ

  • おのころ島は、天沼矛から滴った塩(潮)が自ずから固まってできた、国生み最初の島です。
  • 古事記では「淤能碁呂島」、日本書紀では「磤馭慮嶋」と書かれ、どちらも場所は書かれていません。
  • 候補地には、沼島、自凝島神社の丘、絵島、友ヶ島などがあり、どれも諸説あるうちの一つです。
  • 沼島・自凝島神社・絵島は、日本遺産「国生みの島・淡路」の構成文化財になっています。
  • 候補地が淡路島のまわりに集まるのは、国生みの最初に淡路島が出てくるからだと考えられます。

場所が書かれていないからこそ、いくつもの土地が「最初の島」を名乗ってきた。
おのころ島は、淡路の人たちの誇りとともに、今も海の上に浮かんでいます。

よくある質問(FAQ)

Q. おのころ島は実在するのですか?
A. 古事記・日本書紀には場所が書かれていないため、分かっていません。沼島などの候補地があるほか、神話の中だけの島と考える立場もあります。

Q. いちばん有力な候補地はどこですか?
A. 百科事典の解説では、古い文献で当てられ、近世以降も有力とされてきた沼島が挙げられることが多いです。ただし、決め手になる史料はありません。

Q. 自凝神社と自凝島神社は違う神社ですか?
A. 別の神社です。自凝神社は沼島に、自凝島神社は淡路島の南あわじ市榎列にあります。

この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。

出典・参考文献

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