この記事で分かること
日本武尊(やまとたけるのみこと)の魂は、亡くなったあと、大きな白い鳥になって飛び去った、と古事記と日本書紀は伝えています。
白鳥はどこへ向かったのか。
なぜ白い鳥だったのか。
「白鳥陵」と呼ばれる三つの陵や、白鳥の声で言葉を話しはじめた皇子の話まで、古代の人々が白い鳥に見たものをたどります。
白鳥伝説を一言でいうと
英雄・日本武尊の魂が、白鳥になって故郷の方へ飛んでいったという物語です。
どの文献に出てくる?
古事記:八尋白智鳥【史料】
伊吹山の神様に打たれて体をこわした日本武尊(倭建命)は、能煩野(のぼの)で「倭は国のまほろば」と故郷をしのぶ歌を詠み、亡くなりました。
大和にいた后や御子たちがかけつけ、御陵を作り、そのまわりの田をはいまわって泣きながら歌います。
すると――
於是化八尋白智鳥、翔天而向濱飛行。
(『古事記』中巻・景行天皇記)
「そのとき、倭建命は八尋(やひろ)の白い鳥となって、天へと舞い上がり、浜の方へ飛んでいった」。
「八尋」は、両手を広げた長さの八倍。とても大きな、という意味です。
后や御子たちは、小竹の切り株で足が傷つくのも忘れて、泣きながら白鳥を追いかけました。
海に入り、磯を伝い、白鳥を追いかけながら歌った四つの歌は、それ以来、天皇の大葬(おおみはふり)のときに歌われるようになった、と古事記は書いています。
白鳥はやがて河内国の志幾(しき)にとどまり、そこに御陵が作られて「白鳥御陵」と呼ばれました。
けれども白鳥は、そこからさらに天高く飛んでいってしまった、とされています。
日本書紀:三つの白鳥陵【史料】
日本書紀では、日本武尊は能褒野(のぼの)で30歳で亡くなり、能褒野陵に葬られます。
父の景行天皇は、眠ることも食べることもできないほど嘆き悲しんだ、と書かれています。
時、日本武尊化白鳥、從陵出之、指倭國而飛之。群臣等、因以、開其棺櫬而視之、明衣空留而屍骨無之。
(『日本書紀』巻第七 景行天皇)
読みやすくしてみると、「そのとき日本武尊は白鳥となって陵から出て、大和の国をめざして飛んでいった。群臣たちがその棺を開けて見ると、衣だけがむなしく残り、亡骸はなかった」。
棺の中には、衣だけが残っていた。
なんとも神秘的な場面です。
白鳥は大和の琴弾原(ことひきはら)にとまったので、そこに陵が作られました。
さらに河内に飛んで旧市邑(ふるいちのむら)にとまったので、そこにも陵が作られました。
故、時人號是三陵、曰白鳥陵。
「それで人々は、この三つの陵を白鳥陵と呼んだ」。
そして白鳥は、ついに高く飛んで天に昇ってしまい、あとには衣と冠だけが葬られた、と日本書紀は書いています。
| 場所 | 古い地名 | 日本書紀での順番 |
|---|---|---|
| 伊勢 | 能褒野 | 最初に葬られた陵 |
| 大和 | 琴弾原 | 白鳥が最初にとまった |
| 河内 | 旧市邑 | 白鳥が次にとまった |
白鳥の声で話しはじめた皇子【史料】
白い鳥にまつわる話は、日本武尊の物語だけではありません。
日本武尊の祖父にあたる垂仁天皇の皇子、本牟智和気(ほむちわけ。日本書紀では誉津別)は、ひげが胸にとどくほど大人になっても、言葉を話しませんでした。
古事記には、こう書かれています。
故、今聞高往鵠之音、始爲阿藝登比。
(『古事記』中巻・垂仁天皇記)
「ところが、空高く飛んでいく鵠(くぐい)の声を聞いて、はじめて片言を話そうとした」。
鵠(くぐい)は、白鳥の古い呼び名です。
天皇は人をつかわして、その鳥を紀伊・播磨・因幡・丹波・但馬・近江・美濃・尾張・信濃と追いかけさせ、ついに越の国でとらえました。
日本書紀では、誉津別皇子は献上された鵠と遊んで、ついに言葉を話せるようになった、と書かれています。
そしてこの鳥をとらえた天湯河板挙(あめのゆかわたな)は「鳥取造(ととりのみやつこ)」の姓をもらい、鳥取部・鳥養部などが定められました。
「鳥取」という地名や名字のルーツの一つとされる話です。
白鳥の声が、皇子の言葉を呼び覚ました。
ここでも白い鳥は、魂や言葉にかかわる、特別な鳥として描かれています。
各地の白鳥神社【伝承】
日本武尊の白鳥伝説にちなむと伝える「白鳥神社」は、各地にあります。
たとえば埼玉県長瀞町の白鳥神社は、寳登山神社の公式サイトによると、菅原道真公・日本武尊・埴山姫命などをお祀りし、「白鳥天神宮」とも呼ばれているそうです。
秩父の山々は、三峯神社や寳登山神社をはじめ、日本武尊の伝承がたくさん残る土地なんですね。
古神道的な読み解き
鳥は魂を運ぶ
古代の人々は、鳥を、魂を運ぶものと考えていたとする説があります。
空と地上を自由に行き来する鳥は、この世とあの世をつなぐ存在だったのかもしれません。
天若日子の弔いでも、鳥たちがそれぞれ役目を与えられて、八日八夜の葬儀が行われました。
鳥と死者の魂の結びつきは、古事記のあちこちに見られます。
なぜ「白」なのか
白は、けがれのない清らかさを表す色です。
神様にお供えする紙や布、神職の装束にも、白が使われます。
英雄の魂が白い鳥になったのは、その魂が清らかなまま天へ帰っていったことを表しているのかもしれません。
まこも考察
ここからはまこもの考察です。
白鳥伝説を読んでいて、僕がいちばん切なくなるのは、后や御子たちが白鳥を追いかける場面です。
足が竹の切り株で傷ついても、痛みを忘れて追いかける。
海に入り、磯を伝い、それでも白鳥は止まらない。
やっと一か所にとどまったと思ったら、また飛び立ってしまう。
日本武尊は、生きているあいだ、父の命令でずっと遠くへ遠くへと旅をしていました。
そして亡くなってからも、白鳥になって、まだ旅を続けている。
故郷の大和をめざして飛び、でもそこにもとどまらず、最後は天に昇ってしまった。
僕は、白鳥陵が三つあるのは、残された人たちが「ここにいてほしい」と願った場所の数なのだと思います。
とどまってほしい、でもとどめておけない。
白鳥伝説は、大切な人を見送る人たちの気持ちそのものを、形にした物語なのかもしれません。
ちなみに僕は、公園の白鳥にパンをあげようとして近づいたら、思ったより大きくて本気で逃げたことがあります。
まとめ
- 古事記では、亡くなった日本武尊が八尋白智鳥となって浜の方へ飛び、后や御子たちが泣きながら追いかけました。
- 日本書紀では、日本武尊は白鳥となって陵から出て、棺には衣だけが残されていました。
- 白鳥がとどまった能褒野・琴弾原・旧市邑の三つの陵は「白鳥陵」と呼ばれました。
- 垂仁天皇の皇子・本牟智和気(誉津別)は、鵠(白鳥)の声を聞いて言葉を話しはじめたと伝えられます。
- 各地には、日本武尊の伝説にちなむ白鳥神社があります。
とどめておきたくても、飛んでいってしまう白い鳥。
白鳥伝説には、大切な人を見送る古代の人々の祈りがこめられています。
よくある質問(FAQ)
Q. 白鳥伝説とはどんな話ですか?
A. 日本武尊が亡くなったあと、その魂が白鳥になって飛び去ったという、古事記と日本書紀に書かれた話です。
Q. 白鳥陵はどこにありますか?
A. 日本書紀では、伊勢の能褒野、大和の琴弾原、河内の旧市邑の三か所の陵を白鳥陵と呼んだとされています。古事記では、河内の志幾の御陵を白鳥御陵としています。
Q. 鵠(くぐい)とは何ですか?
A. 白鳥の古い呼び名です。古事記・日本書紀には、言葉を話さなかった皇子が鵠の声を聞いて話しはじめた、という話があります。
この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。
出典・参考文献
- 『古事記』中巻(垂仁天皇記・景行天皇記)原文
- 『日本書紀』巻第六(垂仁天皇)・巻第七(景行天皇)原文
- 寳登山神社 公式サイト「長瀞のお宮」 https://www.hodosan-jinja.or.jp/koutsu/omiya/


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