古事記とは?成立・構成・特徴をやさしく解説【現存最古の歴史書】

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この記事で分かること
古事記(こじき)は、今から1300年あまり前にまとめられた、現存する日本最古の歴史書です。

誰が、なぜ、どうやって作ったのか。
上・中・下の三巻に何が書かれているのか。
そして、日本書紀とは何が違うのかを、原文も少しのぞきながらお話しします。

古事記を一言でいうと

天地のはじまりから推古天皇の時代までを、神様と天皇の物語として語った書物です。

和銅5年(712年)に、太安万侶(おおのやすまろ)が元明天皇に献上しました。
もとになったのは、稗田阿礼(ひえだのあれ)という人が覚えて語っていた「昔の伝え」です。

神話の部分がとても豊かで、この連載で紹介してきた神様たちの物語も、その多くは古事記から来ているんですよね。

古事記の成り立ち

天武天皇の思い

古事記の成り立ちは、太安万侶が書いた「序(じょ)」にくわしく記されています。

始まりは、天武天皇(てんむてんのう)の言葉でした。

朕聞、諸家之所賷帝紀及本辭、既違正實、多加虛僞。當今之時不改其失、未經幾年其旨欲滅。
(『古事記』序)

読みやすくしてみると、「聞くところによると、諸家が伝えている帝紀(天皇の系譜)と本辞(昔の言い伝え)は、すでに事実と違い、多くの偽りが加わっているという。今この誤りを正さなければ、何年もたたないうちに、本当の意味は失われてしまうだろう」。

天武天皇は、正しい伝えを選び、偽りを削って、後の世に残そうと考えたのです。

稗田阿礼の記憶力

そこで選ばれたのが、稗田阿礼でした。

時有舍人、姓稗田、名阿禮、年是廿八、爲人聰明、度目誦口、拂耳勒心。

「そのとき、稗田阿礼という舎人(とねり、天皇のそば近くに仕える人)がいた。年は28歳。とても賢く、一度目にしたものはすぐに口で唱えることができ、一度耳にしたことは心に刻んで忘れなかった」。

天武天皇は、阿礼に天皇の系譜と昔の伝えを「誦(よ)み習わせ」ました。
つまり、声に出して読み、覚えさせたのです。

僕は3日前の夕ごはんも思い出せないことがあるので、この記憶力は本当にうらやましいです。

太安万侶の苦労

ところが、天武天皇の時代には、書物として完成しないまま時が過ぎてしまいます。

それから何十年もたって、元明天皇(げんめいてんのう)が太安万侶に命じます。

以和銅四年九月十八日、詔臣安萬侶、撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭以獻上者、謹隨詔旨、子細採摭。

「和銅4年(711年)9月18日、私・安万侶に、稗田阿礼が誦んでいた昔の伝えを書きとめて献上せよとのご命令があったので、そのとおりに、こまかく拾い集めました」。

そして、わずか4か月あまり後の和銅5年(712年)1月28日に、古事記三巻が献上されました。

年できごと
天武天皇の時代(7世紀後半)天武天皇が、帝紀と旧辞の誤りを正して後世に残そうと考え、稗田阿礼に誦み習わせる
和銅4年(711年)9月18日元明天皇が、太安万侶に書きとめるよう命じる
和銅5年(712年)1月28日太安万侶が古事記三巻を献上する

古事記の構成

古事記は、上巻・中巻・下巻の三巻でできています。
序文には、それぞれの巻の範囲がはっきり書かれています。

巻範囲主な内容
上巻(かみつまき)天御中主神から、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)まで神話(天地のはじまり、国生み、天岩戸、八岐大蛇、大国主神、国譲り、天孫降臨、海幸山幸)
中巻(なかつまき)神武天皇から、応神天皇まで神武東征、ヤマトタケル、神功皇后など、神と人が近い時代の物語
下巻(しもつまき)仁徳天皇から、推古天皇まで天皇たちの恋や争い、皇位をめぐる物語

上巻が神様の時代、中巻が神と人が行き来する時代、下巻が人の時代。
読み進めるほど、物語の主役が神様から人へと移っていくんです。

古事記の特徴

① 日本語を漢字で書く工夫

古事記が作られたころ、日本にはまだひらがなもカタカナもありませんでした。
使えるのは漢字だけです。

太安万侶は、序文でその苦労を正直に書いています。

已因訓述者、詞不逮心、全以音連者、事趣更長。

読みやすくしてみると、「漢字の意味(訓)だけで書くと、言葉が心に追いつかない。漢字の音だけを並べて書くと、文がとても長くなってしまう」。

そこで安万侶は、一つの文の中で音と訓を組み合わせたり、意味が分かりにくいところには注を付けたりしました。
たとえば「日下」と書いて「くさか」、「帯」と書いて「たらし」と読むような、昔からの書き方は、そのまま残したとも書いています。

話し言葉を、なんとか文字に写し取ろうとした苦労のあとが、古事記のいたるところに残っているんです。
僕もブログを書くたびに「話すように書く」ことの難しさを感じているので、1300年前の安万侶さんに、ついエールを送りたくなります。

② 歌がたくさん入っている

古事記には、112首ほどの歌(歌謡)が入っています。
須佐之男命の「八雲立つ」や、八千矛神(大国主命)の恋の歌のやりとりなど、物語の大事な場面で、登場人物が歌を詠むんです。

歴史書でありながら、歌物語のような味わいがあるのも、古事記の大きな魅力です。

③ 一本の物語として語られる

古事記は、一つの流れの物語として、はじめから終わりまで語られます。

一方、日本書紀は、本文のあとに「一書(あるふみ)に曰く」として、別の伝えをたくさん並べています。
同じ神話でも、古事記は「一本の物語」、日本書紀は「いくつもの伝えの資料集」という違いがあるんです。

④ 出雲の神話がとても多い

古事記の神話のうち、出雲に関わる話は、およそ3分の1をしめるといわれます。
八岐大蛇、因幡の白兎、大国主神の国づくり、国譲りなどです。
日本書紀の本文では、出雲の神話は古事記ほど多く語られていません。

あらすじ

ここでは、古事記の流れを、ざっとたどってみます。

上巻:神様の時代

天と地がはじめてひらけたとき、高天原に天之御中主神をはじめとする造化三神が現れます。

やがて伊邪那岐命と伊邪那美命が、日本の島々と神々を生みます。
伊邪那美命は火の神様を生んで亡くなり、伊邪那岐命は黄泉の国から戻って禊をして、天照大御神・月読命・須佐之男命の三貴子を生みます。

須佐之男命の乱暴に怒った天照大御神は天岩戸に隠れ、神々の祭りによって再び外へ出ます。
追放された須佐之男命は、出雲で八岐大蛇を退治しました。

その子孫の大国主神は、兄たちの迫害を乗り越えて国をつくり、やがてその国を天照大御神の子孫に譲ります。
天照大御神の孫・邇邇芸命が高千穂に降り、木花之佐久夜毘売と結ばれ、その孫の代で上巻は終わります。

中巻:神と人が近い時代

初代の神武天皇が、日向から大和へ向かい、橿原(かしはら)で即位します。

そのあと、疫病に苦しんだ崇神天皇の時代、各地を平定したヤマトタケルの物語、神の言葉を受けて海を渡った神功皇后の物語などが続き、応神天皇で中巻は終わります。
神様が夢に現れたり、人に言葉を告げたりする場面がまだ多く、神と人の距離がとても近い時代です。

下巻:人の時代

民の暮らしを思って税を免除したと伝わる仁徳天皇から始まり、皇位をめぐる争いや、天皇たちの恋の物語が語られます。
後半になるにつれて記事は短くなり、推古天皇の名前で古事記は終わります。

古事記と日本書紀の違い

古事記と、そのわずか8年後にできた日本書紀は、よく比べられます。
くわしくは別の記事で紹介する予定ですが、ここでは大まかな違いを表にしてみます。

古事記日本書紀
完成和銅5年(712年)養老4年(720年)
巻数3巻30巻(系図1巻は失われた)
まとめた人太安万侶(稗田阿礼の語りをもとに)舎人親王(とねりしんのう)ら
範囲天地のはじまり〜推古天皇天地のはじまり〜持統天皇
文体日本語の語りを漢字で写した文(音と訓をまじえる)漢文(中国の歴史書の形式)
書き方一本の物語本文と、たくさんの異伝(一書)
特徴神話・歌・出雲の話が豊か年月日を付けた記録が多い

よく「古事記は国内向け、日本書紀は海外(中国)向け」と言われることがありますが、これははっきりした記録があるわけではなく、文体の違いなどから語られる見方の一つです。

古事記はどうやって今に伝わったのか

原本は残っていない

712年に献上された古事記の原本は、今は残っていません。
私たちが読んでいる古事記は、何度も書き写されてきた写本がもとになっています。

現存する最古の写本は、南北朝時代の応安4〜5年(1371〜1372年)に、真福寺(しんぷくじ)の僧・賢瑜(けんゆ)が書き写した「真福寺本(しんぷくじぼん)」です。
上・中・下の三巻がそろっていて、国宝に指定されています。
名古屋の大須観音(真福寺宝生院)が所蔵しています。

偽書説と、太安万侶の墓誌

古事記には、かつて「序文は後の時代に作られたのではないか」「古事記そのものが、平安時代以降に作られた偽書ではないか」という説がありました。
古事記の成立について書かれているのが序文だけで、ほかの記録に古事記の名前がほとんど出てこないことなどが理由でした。

ところが1979年、奈良市此瀬町(このせちょう)の茶畑で、太安万侶のお墓が偶然見つかります。
中からは、名前や住まい、養老7年(723年)に亡くなったことを刻んだ銅板の墓誌が出てきました。
これによって、太安万侶が実在の人物だったことがはっきりしました。

今では、古事記は序文に書かれたとおり、奈良時代のはじめにまとめられたとする考え方が一般的です。

本居宣長による再発見

古事記は、長いあいだ、正式な歴史書である日本書紀の陰に隠れがちでした。

その古事記に光を当てたのが、江戸時代の国学者・本居宣長(もとおり のりなが)です。
宣長は35年をかけて、古事記の注釈書『古事記伝(こじきでん)』44巻を書き上げました(寛政10年=1798年に完成)。
古事記の一語一語をどう読むかを丁寧に考え抜いたこの研究によって、古事記は日本の古い心を伝える書物として、広く読まれるようになったのです。

古史古伝での扱い

古事記・日本書紀とは別系統の伝承として、「古史古伝」と呼ばれる文書群があります。
ホツマツタヱ(秀真伝)や竹内文書(たけうちもんじょ)などです。

これらの中には、「古事記や日本書紀よりも古い時代に書かれた」と自ら主張するものもあります。
ただ、ホツマツタヱは江戸時代後期、竹内文書は昭和のはじめに世に出たものとみられていて、成立や真偽をめぐって論争があり、偽書とする見方が有力です。
ここでは、そうした文書もある、という紹介にとどめます。

解釈のポイント

① 漢字は「当て字」のことが多い

古事記の神様の名前は、漢字の意味よりも「音」を写したものがたくさんあります。
たとえば「伊邪那岐(いざなぎ)」の漢字には、名前の意味はほとんど表れていません。
名前の意味を考えるときは、漢字の見た目よりも、「どう読むか」を手がかりにするのが大切です。

② 「なぜこの順番で語るのか」を考える

古事記は、天地のはじまりから天皇の時代へと、一本の流れで語られます。
どの神様の話が先に来て、誰が誰に国を譲ったのか。
その順番そのものに、古事記を作った人たちの考え方が表れています。

③ 日本書紀や風土記と読み比べる

同じ神様でも、古事記・日本書紀・風土記では描かれ方がずいぶん違います。
この連載でも、天之御中主神が日本書紀の本文には出てこないこと、伊邪那美命が日本書紀の本文では亡くならないことなどを紹介してきました。
読み比べることで、一つの書物だけでは見えない神様の姿が見えてきます。

まこも考察

ここからはまこもの考察です。

古事記の序文を読んでいて、僕がいちばん心を動かされるのは、太安万侶の「詞不逮心(言葉が心に追いつかない)」という一言です。

古事記は、もともと稗田阿礼が「声」で覚えて、「声」で語っていた伝えでした。
それを、まだ仮名のない時代に、漢字だけで書きとめなければならなかった。
意味で書けば、声の響きが消えてしまう。
音で書けば、長くなって読めなくなってしまう。
安万侶は、その間でずっと悩みながら、一文字ずつ選んでいったのだと思います。

古神道では、言葉には力が宿ると考えます(言霊)。
古事記は、「語られた言葉の力」を、なんとか文字の中に閉じ込めようとした書物なのかもしれません。

だからこそ、古事記を読むときは、ときどき声に出してみるのがおすすめです。
「あめつちはじめてひらけしとき」。
声にしてみると、1300年前に稗田阿礼が語っていた響きが、少しだけ戻ってくるような気がするんです。

古事記の神話が登場する作品

古事記の神話は、昔から映画やゲームの題材にもなってきました。
ここでは、確認できた作品の中から代表的なものを紹介します。

映画『日本誕生』(1959年)

東宝が製作1000本を記念して作った超大作映画で、監督は稲垣浩、主演は三船敏郎です(映画.com、日本映画製作者連盟)。
ヤマトタケルの生涯を中心に、日本の国造り、天の岩戸、大蛇退治、草薙の剣などの神話の場面が、円谷英二の特撮で描かれています。
上映時間は181分。
神話の名場面を、昭和の大スターたちが演じた作品です。

ゲーム『大神』(2006年)

カプコンから発売されたゲームで、主人公は白い狼の姿をした「大神アマテラス」です。
太陽の神様・天照大御神をモチーフにしていて、ヤマタノオロチやスサノオ、サクヤ姫など、日本神話を思わせる登場人物がたくさん出てきます。
日本画のような絵柄でも知られ、のちに「絶景版」などとしても発売されています。

関連する神様・神社

関連する神様

ゆかりの神社・史跡

  • 賣太神社(めたじんじゃ、奈良県大和郡山市稗田町):稗田阿礼を主祭神としてお祀りする神社です。毎年8月16日には、稗田阿礼の徳をしのぶ「阿礼祭(あれまつり)」が行われ、「語り部の神様」「童話の神様」として親しまれています。
  • 多坐弥志理都比古神社(おおにいますみしりつひこじんじゃ、通称・多神社、奈良県田原本町):太安万侶の一族・多(おお)氏の氏神をお祀りする神社で、太安万侶もあわせてお祀りしていると伝えられています【伝承】。
  • 太安萬侶墓(奈良県奈良市此瀬町):1979年に墓誌が見つかった、太安万侶のお墓です。国の史跡に指定されています。

まとめ

  • 古事記は、和銅5年(712年)に太安万侶が元明天皇に献上した、現存する日本最古の歴史書です。
  • 天武天皇の命で、稗田阿礼が誦み習っていた伝えがもとになっています。
  • 上巻(神話)・中巻(神と人の時代)・下巻(人の時代)の三巻で、天地のはじまりから推古天皇までを語ります。
  • 仮名のない時代に、日本語の語りを漢字の音と訓をまぜて書きとめる工夫がされています。
  • 最古の写本は南北朝時代の真福寺本。1979年に太安万侶の墓誌が見つかり、実在が確かめられました。

声で語られた神様たちの物語を、なんとか文字に残そうとした人たちがいた。
古事記は、そんな人たちの思いがつまった、日本のいちばん古い「物語の本」なんですよね。

よくある質問(FAQ)

Q. 古事記と日本書紀、どちらが古いのですか?
A. 古事記のほうが古く、和銅5年(712年)にまとめられました。日本書紀は、その8年後の養老4年(720年)に完成しています。

Q. 古事記は誰が書いたのですか?
A. 稗田阿礼が誦み習っていた伝えを、太安万侶が書きとめてまとめました。そのもとになる計画を立てたのは、天武天皇です。

Q. 古事記の原本は残っているのですか?
A. 原本は残っていません。現存する最古の写本は、1371〜1372年に書き写された「真福寺本」で、国宝に指定されています。

Q. 「古事記」は何と読むのですか?
A. 一般には「こじき」と読みます。本居宣長は「ふることぶみ」と読む説を唱えましたが、当時どう読まれていたかについては、はっきりしていません。

この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。

出典・参考文献

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