伊邪那美命ってどんな神様?国生みの母神と黄泉津大神

この記事は約15分で読めます。
夕暮れの丘で、花びらの舞う中から島々を見守る伊邪那美命のイメージイラスト
伊邪那美命のイメージイラストです

この記事で分かること
伊邪那美命(いざなみのみこと)は、日本の島々と多くの神様を生んだ母神様です。
火の神様を生んで亡くなり、黄泉の国の大神となったその生涯を、古事記・日本書紀の違い、葬られた場所の伝承とあわせて、史料と伝承に分けてお話しします。

伊邪那美命を一言でいうと

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と夫婦になって、日本の国土と神々を生んだ母神様です。
最後に火の神様を生んで亡くなり、死者の国・黄泉(よみ)の国の大神「黄泉津大神(よもつおおかみ)」になりました。

生み出す力の頂点と、死の世界の主。
その両方を一柱で担っている、とても奥行きのある女神様なんですよね。

名前の意味を見てみよう

伊邪那岐命と、名前のほとんどが同じです。

  • いざ:「いざ行こう」の「いざ」。人を誘う言葉
  • な:「の」と同じ、つなぎの言葉(「いざなう」の語幹とみる説もあります)
  • み:女性を表す言葉

合わせて「誘う女神様」。
伊邪那岐命の「き」が男性、伊邪那美命の「み」が女性で、二柱は最後の一文字だけが違うんです(國學院大學 神名データベース)。

「き」と「み」の対は、ほかにも出てきます。
造化三神の記事で紹介した「神漏岐(かむろぎ)・神漏美(かむろみ)」も同じ形なんです。

伊邪那美命のプロフィール

項目内容
読みいざなみのみこと
表記伊邪那美命・伊邪那美神(古事記)/伊弉冉尊(日本書紀)
別名黄泉津大神(よもつおおかみ)、道敷大神(ちしきのおおかみ)(古事記)
呼ばれ方熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ、熊野那智大社で)
分類神世七代(かみよななよ)の最後の代の女神様
配偶神伊邪那岐命
主な子日本の島々(大八島国)、海・山・風・木・野などの神様、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)
  • 神世七代(かみよななよ)=造化三神などの「別天神」のあとに現れる、七代の神様。伊邪那岐命・伊邪那美命は、その七代目です

プロフィールの「主な子」の欄、実はこれでもかなり省略しています。
古事記に名前が出てくる子どもの神様をぜんぶ書くと、この表が画面に収まらなくなってしまうんです。

どの文献に出てくる?

古事記【史料】

国生みまでの流れは、伊邪那岐命の記事でくわしく紹介しています。
ここでは、伊邪那美命を中心に見ていきます。

① 国生みと神生み

二柱は淤能碁呂島(おのごろじま)に降り、天の御柱をまわって夫婦になります。
おのごろ島の伝承地の一つ、沼島の神社については自凝神社(沼島)の記事で紹介しています。
淡路島をはじめとする日本の島々、そして海・川・山・風・木・野など、自然そのものの神様たちを次々に生みました。

② 火の神様を生んで

最後に生んだのが、火の神様・火之迦具土神です。
伊邪那美命はこのときにひどいやけどを負い、病に伏してしまいます。

ところが、苦しみの中で伊邪那美命の体から出たものからも、神様が生まれるんです。

  • 金山毘古神(かなやまびこのかみ)・金山毘売神(かなやまびめのかみ):鉱山・金属の神様
  • 波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)・波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ):土の神様
  • 弥都波能売神(みつはのめのかみ):水の神様
  • 和久産巣日神(わくむすひのかみ):生み出す力の神様。その子が、食物の女神様・豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)です

金属、土、水、そして食べ物。
命が尽きようとするその時にまで、人の暮らしに欠かせないものを生み続けた。
古事記の伊邪那美命は、最後の最後まで「生む神様」なんです。

③ 死と葬られた場所

伊邪那美命は、そのまま亡くなります。

故、其所神避之伊邪那美神者、葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也。
(『古事記』上巻・伊耶那美命の死)

読みやすくしてみると、「亡くなった伊邪那美神は、出雲国(島根県東部)と伯伎国(鳥取県西部)の境の比婆(ひば)の山に葬られた」。

④ 黄泉の国

伊邪那岐命は妻に会いたい一心で、黄泉の国まで迎えに行きます。
伊邪那美命は「もっと早く来てくださればよかったのに。私はもう黄泉の国の食べ物を食べてしまいました」と答えました。
黄泉の国の食べ物を口にすると、もう元の世界には戻れないと考えられていたんです。

それでも伊邪那美命は、「黄泉の神様と相談してみます。その間、私の姿を見ないでください」と言って奥へ入ります。
しかし伊邪那岐命は約束を守れず、火をともしてのぞいてしまいました。
そこにあったのは、変わり果てた伊邪那美命の姿でした。

「私に恥をかかせましたね」。
伊邪那美命は黄泉の軍勢に夫を追わせ、最後には自ら追いかけます。

黄泉比良坂(よもつひらさか)を大きな岩でふさいだ伊邪那岐命と、岩をはさんで向き合い、伊邪那美命は言いました。

汝國之人草、一日絞殺千頭。
(あなたの国の人々を、一日に千人殺しましょう)

伊邪那岐命は「それなら私は一日に千五百の産屋を建てよう」と答え、二柱は別々の世界に分かれました。

⑤ 黄泉津大神、道敷大神

古事記はこの場面の最後に、伊邪那美命の新しい名前を記しています。

故、號其伊邪那美神命、謂黄泉津大神。亦云、以其追斯伎斯而、號道敷大神。

「伊邪那美神命を黄泉津大神という。また、追いついたことから道敷大神ともいう」。
国を生んだ母神様は、ここで死者の国を治める大神様になったのです。

日本書紀【史料】

日本書紀では、伊弉冉尊の物語はずいぶん違って描かれています。

本文では亡くならない

日本書紀の神代上・第五段の本文では、伊弉冉尊は伊弉諾尊と一緒に、日の神様・月の神様・蛭児(ひるこ)・素戔嗚尊を生みます。
火の神様を生んで亡くなる話も、黄泉の国の話も、本文にはありません。
それらは、本文のあとに並ぶ異伝(一書)の中に出てきます。

葬られた場所は「熊野の有馬村」

第五段の一書第五には、次のように書かれています。

伊弉冉尊、生火神時、被灼而神退去矣。故葬於紀伊國熊野之有馬村焉。土俗、祭此神之魂者、花時亦以花祭、又用鼓吹幡旗歌舞而祭矣。
(『日本書紀』巻第一 神代上 第五段 一書第五)

読みやすくしてみると、「伊弉冉尊は火の神様を生んだとき、焼かれて亡くなった。そこで紀伊国の熊野の有馬村に葬った。土地の人々は、この神様の魂をお祀りするとき、花の季節には花を供え、また鼓や笛を鳴らし、旗を立て、歌い舞ってお祀りする」。

古事記の「比婆の山」と、日本書紀の「熊野の有馬村」。
葬られた場所からして、二つの書物で違っているんです。

「私はこの国に残ります」

第五段の一書第十には、ほかにはない場面があります。
黄泉の国との境・泉平坂(よもつひらさか)で二柱が言い争っていると、泉守道者(よもつちもりびと)という者が、伊弉冉尊の言葉を伝えます。

吾、與汝已生國矣、奈何更求生乎。吾則當留此國、不可共去。
(『日本書紀』巻第一 神代上 第五段 一書第十)

「私はあなたと、もう国を生みました。どうしてこれ以上、生きることを求めるのでしょう。私はこの国に残ります。一緒には行けません」。

このとき、菊理媛神(くくりひめのかみ)という女神様も何かを申し上げ、伊弉諾尊はそれを聞いて「よし」と言い、二柱は別れました。
菊理媛神が何を言ったのかは、日本書紀には書かれていません。

古事記日本書紀 本文日本書紀 一書
火の神様を生んで亡くなるか亡くなる亡くならない亡くなる(複数の一書)
葬られた場所出雲国と伯伎国の境の比婆の山―紀伊国熊野の有馬村(一書第五)
黄泉の国の話ありなしあり(一書第六・第十など)
最後の別れ千人と千五百人の言葉―「この国に残る」と伝える(一書第十)

その他の文献【史料】

出雲国風土記(いずものくにふどき)
意宇(おう)郡の神社の一つとして「伊布夜社(いふやのやしろ)」が載っています。
今の揖夜神社(いやじんじゃ)にあたり、伊弉冉命をお祀りしています。
古事記は黄泉比良坂を「出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)」としていて、この土地が伊邪那美命と深く結びついていることが分かります。

古史古伝での扱い

古事記・日本書紀とは別系統の伝承として、「古史古伝」と呼ばれる文書群があります。
いずれも成立や真偽をめぐって論争があり、偽書とする見方が有力なものです。
ここでは「こう記されている」という紹介にとどめます。

ホツマツタヱ(秀真伝)
江戸時代後期の成立とみられる文書です。
ここではイサナミのもとの名はイサコで、トヨケ(豊受大神にあたる人物)の娘とされています。
イサナギ(タカヒト)とともに、国を治める「七代目のアマカミ」になった女性の君主として描かれています。

御神徳(ご利益)

  • 縁結び・夫婦円満:はじめて夫婦になった神様として、縁結びや夫婦円満を願って参拝する人が多いとされます。熊野那智大社では、御祭神の熊野夫須美大神が「結(むすび)」の神様としてお祀りされています。
  • 安産・子授け:多くの神々を生んだ母神様として、安産や子授けを願う人もいます。
  • いのちの親神様:国土と神々を生んだ親神様として、多賀大社や伊弉諾神宮で伊邪那岐命とともにお祀りされています。
  • 生と死を見守る神様:黄泉津大神として、亡くなった人の魂の行き先に関わる神様とも考えられてきました。

祀る主な神社・ゆかりの地

花の窟神社(三重県熊野市有馬町)

日本書紀の「熊野の有馬村」にあたる場所とされる神社です。
社殿はなく、高さ約45メートルの大きな岩壁そのものを御神体として、伊弉冊尊と軻遇突智尊(かぐつちのみこと)をお祀りしています。
2004年に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。

年に二度、2月と10月には「お綱掛け神事」が行われます。
約170メートルの大綱を、御神体の岩の上から松の木まで張り渡す神事で、三重県の無形民俗文化財に指定されています。
綱には季節の花や扇が結ばれるそうで、日本書紀の「花の時には花をもって祀る」という言葉が、今も形を変えて続いているんです【伝承】。

ただ、今のような形での信仰は近世以降に整えられたものだとする説もあります(國學院大學 神名データベース)。

比婆山(広島県庄原市・島根県安来市)

古事記の「出雲国と伯伎国の境の比婆の山」がどこなのかには、二つの有力な説があります。

  • 広島県庄原市の比婆山:山頂に伊邪那美命の御陵とされる場所があり、古くから信仰の対象となってきました。周辺のブナ林は国の天然記念物です。
  • 島根県安来市伯太町の比婆山:旧出雲国と旧伯耆国の境界に近く、「出雲と伯伎の境」という古事記の記述と地理的に一致します。山頂には比婆山久米神社があります。

どちらも「ここが御陵だ」と伝えていて、一つに決めることはできません【伝承】。
そもそも古事記の比婆の山は、「出雲=黄泉の国の入り口」という考え方から生まれた神話的な表現だ、という見方もあります(國學院大學 神名データベース)。

熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)

熊野三山の一つで、主祭神は熊野夫須美大神、つまり伊弉冉尊です。
「夫須美(ふすみ)」は「生成発展」を意味するとされ、「結(むすび)」の神様として、人と人との縁や願いを結ぶ神様と信仰されています。

揖夜神社(島根県松江市東出雲町揖屋)

伊弉冉命を主祭神とする神社です。
出雲国風土記に「伊布夜社」として載る古社で、近くには古事記の黄泉比良坂の伝承地があります。

多賀大社・伊弉諾神宮

伊邪那岐命の記事で紹介した多賀大社(滋賀県)と伊弉諾神宮(兵庫県淡路市)でも、伊邪那美命は伊邪那岐命とともにお祀りされています。

どこが「最初のお墓」なのか、どこが「いちばん古い神社」なのかは、伝承によって違います。
花の窟神社は「日本最古の神社」とも紹介されますが、ここでは順位はつけないでおきますね。

古神道的な読み解き

記紀での立ち位置

伊邪那美命は、神世七代の最後に、伊邪那岐命とともに現れた女神様です。
それまでの神様は「現れて、身を隠す」ばかりでしたが、二柱になって初めて、神様が「生み出す」ようになります。

そして伊邪那美命は、日本神話の中で最初に死を迎えた神様でもあります。
生むことを始めた神様が、死ぬことも始めた。
伊邪那美命は、生と死の両方の「はじまり」に立っているんです。

研究者の見方

火の起源神話との比較
「火の神様を生んで母神が亡くなる」という話は、メラネシアやポリネシア、南米などに伝わる火の起源の神話と共通点があると指摘されています(國學院大學 神名データベース。大林太良ほか)。
また、死んだ神様の体から食べ物や大切なものが生まれる話は、「ハイヌウェレ型神話」と呼ばれる神話の型とも比べられています。

兄妹が始祖になる神話との比較
二柱が柱をまわって夫婦になる話は、東南アジアから東アジアに広く伝わる「兄と妹が人類の始祖になる」神話や、中国の伏羲(ふっき)・女媧(じょか)の神話とよく似ていると指摘されています。

平田篤胤と「黄泉」

江戸時代の国学者・本居宣長は、古事記の言葉どおり、人は死ねば黄泉の国へ行くと考えました。
一方、平田篤胤は、死者の魂は黄泉ではなく、この世のすぐそばにある見えない世界「幽冥(かくりよ)」にとどまると考えました。

伊邪那美命が治める黄泉の国とは、どんな場所なのか。
その読み方は、「人は死んだらどこへ行くのか」という問いと、ずっとつながってきたんです。

古神道の考え方との関わり

  • 産霊(むすひ)=生み出す力
    伊邪那美命が最後に生んだ神様の中に、和久産巣日神(わくむすひのかみ)がいます。その子が食物の女神様・豊宇気毘売神です。命の尽きる間際に「むすひ」の神様を生んでいることは、とても象徴的です。熊野那智大社の「結(むすび)」の信仰とも重なって見えます。
  • 言霊(ことだま)=言葉に宿る力
    国生みの最初、伊邪那美命から先に声をかけるとうまくいかず、伊邪那岐命から声をかけ直してうまくいきました。言葉を発する順序や作法が、結果を左右すると考えられていたことがうかがえます。
  • 禊(みそぎ)と祓(はらえ)
    黄泉の国から戻った伊邪那岐命が禊を行い、それが神道の清めの原点になりました。伊邪那美命との別れがなければ、禊も、そこから生まれた天照大御神も存在しなかったことになります。

まこも考察

ここからはまこもの考察です。

僕がいちばん心を動かされるのは、日本書紀の一書第十にある伊弉冉尊の言葉です。

「あなたとは、もう国を生みました。これ以上、生きることを求めてどうするのでしょう。私はこの国に残ります」。

古事記の伊邪那美命は、約束を破られた怒りと悲しみの中で、夫を追いかけます。
でも、この一書の伊弉冉尊は、とても静かです。
自分のなすべきことはもう果たした、だからここに残る、と自分で選んでいるように聞こえるんです。

黄泉津大神という名前も、「死の世界に閉じ込められた女神様」ではなく、「死の世界を引き受けた女神様」と読むことができるのではないでしょうか。
生きている者の国を伊邪那岐命が、亡くなった者の国を伊邪那美命が。
二柱は別れたのではなく、世界を分けて、それぞれが守る役目についた。

一日に千人が亡くなり、千五百人が生まれる。
その「千人」を迎えてくれる場所にいるのが、国を生んだ母神様だとしたら、死は少しだけ怖くなくなる気がします。
僕は、そう読んでいます。

他の神様とのつながり

  • 伊邪那岐命(いざなぎのみこと):夫であり、国生み・神生みを共にした神様
  • 火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ):伊邪那美命が最後に生んだ火の神様
  • 和久産巣日神(わくむすひのかみ)・豊宇気毘売神(とようけびめのかみ):伊邪那美命の最期に生まれた、生み出す力と食物の神様
  • 菊理媛神(くくりひめのかみ):日本書紀の一書で、二柱の別れの場面に現れる女神様
  • 天照大御神・月読命・須佐之男命(三貴子):古事記では伊邪那岐命の禊から、日本書紀の本文では二柱から生まれた神様
  • 天之御中主神・造化三神:伊邪那美命より前に現れた、はじまりの神様たち

伝承・関連する話

【伝承】菊理媛神は何を言ったのか

日本書紀の一書第十で、菊理媛神は二柱の別れの場面に現れ、何かを申し上げます。
でも、その言葉の中身は書かれていません。

菊理媛神は、石川県の白山比咩神社をはじめ、全国の白山神社で白山比咩神(しらやまひめのかみ)と同じ神様としてお祀りされています。
「くくり」という名前から、二柱の間を取り持った、つまり「くくる(まとめる)」神様だったのではないかと考えられ、縁結びの神様として信仰されています。
伊邪那岐命が菊理媛神の言葉を聞いたあとに禊を行っていることから、禊をすすめたのではないか、という読み方もあります。

たった一行しか出てこないのに、ずっと語り継がれている。
菊理媛神は、日本神話の中でもいちばん謎めいた女神様の一柱なんです。

【噂・俗説】「黄泉比良坂は、あの世への入り口」

島根県松江市東出雲町には、黄泉比良坂の伝承地があり、大きな岩が置かれています。
古事記に「その黄泉比良坂は、今の出雲国の伊賦夜坂である」と書かれていることから、この地が伝承地とされてきました。

ネットでは「あの世への入り口」と語られることもありますが、あくまで古事記の記述にもとづく伝承地です。
近くの揖夜神社とあわせて、神話と土地のつながりを感じる場所として訪ねるのがよさそうです。

まとめ

  • 伊邪那美命は、伊邪那岐命とともに日本の島々と多くの神様を生んだ母神様です。
  • 火の神様を生んで亡くなり、その苦しみの中でも金属・土・水・食物の神様を生みました。
  • 古事記では、黄泉の国で夫と別れ、黄泉津大神になりました。
  • 日本書紀の本文では亡くならず、異伝では葬られた場所が「熊野の有馬村」とされます。そこが今の花の窟神社です。
  • 一書第十では、「私はこの国に残ります」と自ら伝え、菊理媛神が二柱の別れに立ち会います。

国を生んだ母神様は、死の世界の主でもあった。
伊邪那美命は、生と死の両方を抱えて、今も私たちを見守っている神様なのかもしれません。

よくある質問(FAQ)

Q. 伊邪那美命のお墓はどこにあるのですか?
A. 古事記では「出雲国と伯伎国の境の比婆の山」、日本書紀の異伝では「紀伊国熊野の有馬村」とされています。比婆山は広島県庄原市と島根県安来市に候補地があり、熊野の有馬村は三重県熊野市の花の窟神社にあたるとされます。どれが正しいかは決まっていません。

Q. 黄泉津大神とは、どういう意味ですか?
A. 「黄泉の国の大神」という意味です。古事記は、黄泉の国で伊邪那岐命と別れたあとの伊邪那美命をこう呼んでいます。国を生んだ母神様が、死者の国を治める神様になったことを表しています。

Q. 伊邪那美命は怖い神様なのですか?
A. 黄泉の国の場面では夫を追いかける姿が描かれますが、それは約束を破られた怒りと悲しみからでした。多くの神社では、国土と神々を生んだ母神様、縁結びや夫婦円満の神様としてお祀りされています。

Q. 伊邪那美命と伊邪那岐命は、最後に仲直りしたのですか?
A. 古事記・日本書紀には、仲直りした場面は書かれていません。ただ、多賀大社や伊弉諾神宮、筑波山神社などでは、今も二柱が一緒にお祀りされています。

この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。

出典・参考文献

コメント

タイトルとURLをコピーしました