
この記事で分かること
八幡神(はちまんしん)は、全国でいちばん多くお祀りされているといわれる神様です。
「八幡さま」の正体は誰なのか。
どうして神様なのに「大菩薩」と呼ばれたのか。
そしてなぜ武士たちの守り神になったのか。
宇佐神宮・石清水八幡宮・鶴岡八幡宮をたどりながらお話しします。
八幡神を一言でいうと
応神天皇の御神霊とされ、国を守り、武士に深く信仰された「八幡さま」です。
宇佐神宮の公式サイトによると、全国の神社のうち八幡さまがいちばん多く、4万600社あまりあるそうです。
近所の「八幡神社」や「八幡宮」も、たどっていくと多くが大分県の宇佐神宮につながっています。
実は、相模国一之宮の寒川神社も、江戸時代には御祭神を八幡神とする説が有力でした。
それくらい、八幡さまは身近で頼りにされた神様だったんです。
名前の意味を見てみよう
「八幡」は、もともと「やはた」と読まれていたと考えられています。
「はちまん」は、仏教の影響を受けた音読みの呼び方です。
「八」は数が多いこと、「幡(はた)」は神様をお招きする旗のことだとする説があります。
たくさんの旗がひるがえる様子を表した名前、というわけです。
ただし名前の由来には諸説あり、はっきりとは分かっていません。
八幡神のプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 読み | はちまんしん(やはたのかみ) |
| 別名 | 八幡大神、八幡大菩薩、誉田別尊(ほんだわけのみこと)など |
| 正体とされる方 | 応神天皇(第15代天皇)の御神霊 |
| 一緒に祀られる神様 | 比売大神(ひめおおかみ)、神功皇后(応神天皇の母) |
| 総本宮 | 宇佐神宮(大分県宇佐市) |
| 数 | 全国に4万600社あまり(宇佐神宮 公式サイト) |
| 主な御神徳 | 国家鎮護、厄除開運、勝運などとされる |
どの文献に出てくる?
古事記・日本書紀【史料】
実は、古事記にも日本書紀にも「八幡」という名前は出てきません。
記紀に登場するのは、八幡神の正体とされる応神天皇です。
古事記では、応神天皇は「品陀和気命(ほむだわけのみこと)」、またの名を「大鞆和気命(おおともわけのみこと)」といいます。
此太子之御名、所以負大鞆和氣命者、初所生時、如鞆宍生御腕、故著其御名。
(『古事記』中巻・仲哀天皇記)
読みやすくしてみると、「この御子が大鞆和気命という名前なのは、生まれたとき、腕に鞆(とも)のような肉がついていたので、その名をつけたのである」。
鞆というのは、弓を射るときに左の手首につける革の道具です。
日本書紀の応神天皇の巻にも、同じように「生まれたとき腕に鞆のような肉があったので、誉田(ほむた)天皇と名づけた。昔は鞆のことを『ほむた』といった」と書かれています。
生まれながらに弓の道具を腕につけていた天皇。
のちに武士たちが八幡さまを弓矢の神様として仰いだのも、どこかつながっているように感じます。
母・神功皇后の物語【史料】
古事記によると、応神天皇がまだ母・神功皇后のおなかの中にいたとき、神功皇后に神様が降りて、「西の方に国がある。その国を授けよう」と告げました。
古事記は、応神天皇を「おなかの中にいたときから国を定めた」御子として描いています。
そのため、八幡さまのそばには、母である神功皇后もよくお祀りされています。
続日本紀など【史料】
八幡神の名前がはっきり歴史に現れるのは、奈良時代の記録です。
宇佐神宮の公式サイトは、八幡神が奈良の東大寺の大仏を造るときに協力したこと、そして和気清麻呂(わけのきよまろ)に国のあり方を正す神のお告げを授けたことを、特に有名な出来事として紹介しています。
古史古伝での扱い
古史古伝での八幡神の扱いについては、内容を確かめられる資料が見つからなかったため、この記事では紹介を控えます。
宇佐神宮と八幡さまのはじまり
宇佐神宮の公式サイトによると、八幡大神は571年(欽明天皇の時代)に、はじめて宇佐の地に現れたといわれます。
そして725年(神亀2年)に今の場所に御殿を造り、八幡神をお祀りしたのが宇佐神宮の創建です。
その8年後の733年(天平5年)には二之御殿が造られ、比売大神がお祀りされました。
比売大神は、八幡さまが現れる前から宇佐の地の神様として祀られてきた古い神様だそうです。
さらに823年(弘仁14年)に三之御殿が建てられ、神功皇后がお祀りされました。
宇佐神宮は、皇室から伊勢の神宮に次ぐ「宗廟(そうびょう)」として崇敬されてきました。
本殿は国宝に指定されています。
八幡大菩薩の不思議
八幡さまは、神様なのに「八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)」とも呼ばれます。
菩薩は、仏教で悟りを求めて人々を救う存在のことです。
天応元年(781年)、朝廷は宇佐の八幡神に「護国霊験威力神通大菩薩(ごこくれいげんいりきじんずうだいぼさつ)」という称号を贈った、と伝えられています。
これが「八幡大菩薩」の名のはじまりとされます。
東大寺の大仏造りを助けたように、八幡神は早くから仏教と深く結びついていました。
こうして八幡さまは、お寺を守る神様としても各地に勧請されるようになっていきます。
神様と仏様を一つのものとして信仰する「神仏習合」の、代表的な神様なんです。
石清水八幡宮と源氏
石清水八幡宮の公式サイトによると、貞観元年(859年)、奈良の大安寺の僧・行教(ぎょうきょう)が宇佐で「都に近い男山の峯に移って国家を守ろう」というお告げを受け、京都の男山にお祀りしたのが石清水八幡宮のはじまりです。
都の近くに八幡さまが来たことで、朝廷や貴族の信仰も深まりました。
そして、清和天皇の流れをくむ源氏は、八幡大神を氏神として尊崇しました。
源義家は石清水八幡宮で元服し、「八幡太郎義家」と名乗ったことで知られています。
鶴岡八幡宮と鎌倉の武士
康平6年(1063年)、源頼義は奥州での戦いを終えて鎌倉に戻り、石清水八幡宮を由比郷(今の由比ヶ浜のあたり)にお祀りしました。
治承4年(1180年)、源頼朝がこれを今の場所に移し、鎌倉のまちづくりの中心にしたのが、今の鶴岡八幡宮です。
こうして八幡さまは、武士の守り神として関東にも広まりました。
浜降祭で寒川神社と一緒に海へ向かう茅ヶ崎の鶴嶺八幡宮も、源氏が関東に進出するときに建てた、はじめの氏社とされています(鶴嶺八幡宮の説明)。
御神徳(ご利益)
宇佐神宮の公式サイトでは、八幡さまは「国家鎮護の社、厄除開運の神」として崇敬されてきたと紹介されています。
武士に信仰されたことから、勝運や必勝を願う人がお参りすることも多い神様です。
祀る主な神社
- 宇佐神宮(大分県宇佐市):全国の八幡さまの総本宮
- 石清水八幡宮(京都府八幡市):貞観元年(859年)に宇佐から勧請
- 鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市):源頼義・源頼朝ゆかりの八幡宮
- 鶴嶺八幡宮(神奈川県茅ヶ崎市):浜降祭で知られる
- 平塚八幡宮(神奈川県平塚市):国府祭に「一国一社」として参加する
古神道的な読み解き
神様と仏様のあいだで
八幡さまは、記紀の天皇である応神天皇と結びつき、同時に「大菩薩」として仏教とも結びつきました。
一つの神様に、神話の天皇と仏教の菩薩が重なっている。
日本の信仰が、外から来たものを拒まずに包みこんできた姿が、八幡さまにはよく表れています。
「旗」の神様
名前の由来を「たくさんの旗」とする説に立つと、八幡さまは、旗をかかげて神様をお迎えする祭りの姿そのものから生まれた神様、ということになります。
旗は、遠くからでも神様の居場所が分かる目印です。
戦場で旗をかかげる武士たちが八幡さまを仰いだのも、自然なことだったのかもしれません。
まこも考察
ここからはまこもの考察です。
八幡さまを調べていて、僕が面白いと思ったのは、この神様がとても「動く」神様だということです。
宇佐に現れ、奈良の大仏を助けに行き、京都の男山へ移り、鎌倉へ、そして全国へ。
お祀りされる場所が増えるたびに、八幡さまは新しい役目を引き受けてきました。
国を守る神様、お寺を守る神様、源氏の氏神様、村の鎮守様。
寒川神社の御祭神が、江戸時代に八幡神だと考えられていたのも、そう考えるとよく分かります。
「関東でいちばん大事な神様なら、きっと八幡さまだろう」と、当時の人たちは自然に思ったのではないでしょうか。
それほど八幡さまは、人々にとって「頼りになる神様」の代名詞だったんです。
生まれたときから腕に弓の道具をつけていた天皇が、やがて全国4万社の守り神になった。
その長い旅の出発点が、宇佐の小さな山だったと思うと、なんだか胸が熱くなります。
ちなみに僕は、旅行に行くと必ずその土地の「八幡さま」にお参りするのですが、行く先々にあるので、最近はスタンプラリーのようになってきました。
他の神様とのつながり
- 神功皇后:応神天皇の母。八幡さまと一緒にお祀りされることが多い
- 比売大神:宇佐神宮の二之御殿にお祀りされる、宇佐の地の古い神様
- 寒川比古命・寒川比女命:江戸時代、寒川神社の御祭神は八幡神だとする説が有力だった
- 建御雷神:同じく武士に信仰された武の神様
伝承・関連する話
【伝承】宇佐に現れた八幡さま
宇佐神宮の公式サイトは、571年に八幡大神がはじめて宇佐の地に現れたと伝えています。
どんな姿で現れたのかについては、各地にさまざまな言い伝えがあり、宇佐神宮も「八幡大神ゆかりの伝承」として紹介しています。
【伝承】「南無八幡大菩薩」
『平家物語』では、屋島の戦いで那須与一が扇の的を射る前に、「南無八幡大菩薩」と心の中で祈る場面が有名です。
武士が大事な一瞬に祈る相手が八幡さまだったことが、よく分かる場面です。
八幡神が登場する作品・モデルになった作品
『平家物語』
上で紹介したように、那須与一が扇の的を射る場面で「南無八幡大菩薩」と祈ります。
学校の教科書にもよく載っている場面なので、覚えている人も多いかもしれません。
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022年)
源頼朝と鎌倉の武士たちを描いたドラマで、鶴岡八幡宮が物語の重要な場面の舞台として登場します。
どんな場面かはネタバレになるので、ここでは伏せておきますね。
まとめ
- 八幡神は、応神天皇の御神霊とされる神様で、全国に4万600社あまりの八幡さまがあるといわれます。
- 古事記・日本書紀に「八幡」の名はありませんが、応神天皇は生まれたとき腕に鞆のような肉があったと書かれています。
- 総本宮の宇佐神宮は725年の創建で、八幡神は東大寺の大仏造りにも協力したと伝えられます。
- 天応元年(781年)に「大菩薩」の称号が贈られたと伝えられ、神仏習合の代表的な神様になりました。
- 石清水八幡宮・鶴岡八幡宮を通じて源氏の氏神となり、武士の守り神として全国に広まりました。
旗をかかげて、あちこちへ動き、そのたびに新しい人々を守ってきた八幡さま。
近所の八幡神社にも、そんな長い旅の続きがあるのかもしれません。
よくある質問(FAQ)
Q. 八幡さまの正体は誰ですか?
A. 宇佐神宮の公式サイトでは、八幡大神は応神天皇の御神霊とされています。一緒に比売大神と神功皇后がお祀りされています。
Q. 八幡神は古事記に出てきますか?
A. 「八幡」という名前は古事記にも日本書紀にも出てきません。正体とされる応神天皇(品陀和気命)は登場します。
Q. なぜ神様なのに「大菩薩」なのですか?
A. 八幡神は早くから仏教と結びつき、天応元年(781年)に朝廷から「大菩薩」の称号を贈られたと伝えられています。
Q. なぜ武士に信仰されたのですか?
A. 源氏が八幡大神を氏神として尊崇し、源義家が「八幡太郎」と名乗り、源頼朝が鶴岡八幡宮を鎌倉の中心にしたことなどから、武士の守り神として広まりました。
この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。
出典・参考文献
- 『古事記』中巻(仲哀天皇記)原文
- 『日本書紀』巻第十(応神天皇)原文
- 宇佐神宮 公式サイト「由緒」 http://www.usajinguu.com/lineage/
- 宇佐神宮 公式サイト http://www.usajinguu.com/
- 石清水八幡宮 公式サイト「石清水八幡宮について」 https://www.iwashimizu.or.jp/about/
- 鶴岡八幡宮 公式サイト https://www.hachimangu.or.jp/
- 鶴嶺八幡宮 公式サイト「浜降祭」 https://www.tsuruminehachimangu.com/hamaorisai/
- コトバンク「八幡大菩薩」 https://kotobank.jp/word/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%A4%A7%E8%8F%A9%E8%96%A9-114834


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