
この記事で分かること
稚日女命(わかひるめのみこと)は、日本書紀に登場する、高天原で神様の衣を織っていた女神様です。
天岩戸の神話のきっかけになった悲しい出来事、神功皇后への神託、そして神戸の生田神社に鎮まるまでを、日本書紀の原文を見ながらお話しします。
稚日女命を一言でいうと
若々しく、みずみずしい日の光のような女神様で、天照大御神の和魂、あるいは妹神ともいわれる神様です。
神戸の生田神社の主祭神で、公式サイトでは「稚くみずみずしい日の女神様」と紹介されています。
大阪の玉造稲荷神社でも、配祀神の一柱としてお祀りされています。
名前の意味を見てみよう
「わかひるめ」は、次のように分けて考えられています。
- わか(稚):若い、みずみずしい
- ひる(日):太陽、日の光
- め(女):女性
天照大御神は、日本書紀では「大日孁貴(おおひるめのむち)」とも呼ばれます。
「大ひるめ」と「稚ひるめ」。
名前が対になっていることから、稚日女命は天照大御神とゆかりの深い神様と考えられてきました。
稚日女命のプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 読み | わかひるめのみこと |
| 表記 | 稚日女尊(日本書紀) |
| 古事記 | 登場しない |
| 関係 | 天照大御神の和魂、あるいは妹神と伝えられる(生田神社) |
| 仕事 | 高天原の斎服殿(いみはたどの)で、神様の衣を織っていた |
| 祀る神社 | 生田神社(神戸市中央区)、玉造稲荷神社(大阪市中央区)など |
どの文献に出てくる?
古事記【史料】
稚日女命は、古事記には登場しません。
ただし、古事記の天岩戸の神話には、よく似た場面があります。
須佐之男命が、天照大御神の機織りの小屋に、皮をはいだ馬を投げ入れたとき、驚いた「天の服織女(はたおりめ)」が、梭(ひ、機織りの道具)で体を傷つけて亡くなってしまうんです。
古事記では、この女性の名前は書かれていません。
日本書紀【史料】
斎服殿の悲劇
日本書紀の第七段の一書第一には、こう書かれています。
是後、稚日女尊、坐于齋服殿而織神之御服也。素戔嗚尊見之、則逆剥斑駒、投入之於殿內。稚日女尊、乃驚而墮機、以所持梭傷體而神退矣。
(『日本書紀』巻第一・第七段 一書第一)
読みやすくしてみると、「そのあと、稚日女尊が斎服殿(いみはたどの)にいて、神様の御衣を織っていた。素戔嗚尊はそれを見ると、まだら毛の馬の皮を逆さにはいで、御殿の中に投げ入れた。稚日女尊は驚いて機(はた)から落ち、手に持っていた梭で体を傷つけて、亡くなってしまった」。
そして、この出来事が、天照大神の岩戸隠れのきっかけになります。
故、天照大神謂素戔嗚尊曰「汝猶有黑心。不欲與汝相見。」乃入于天石窟而閉著磐戸焉。
「そこで天照大神は素戔嗚尊に『お前にはやはり悪い心がある。もうお前には会いたくない』と言って、天の石窟に入って磐戸を閉ざしてしまった」。
世界が闇に包まれた天岩戸の神話は、稚日女命の死から始まっていたんです。
神功皇后への神託
日本書紀の神功皇后の巻には、稚日女尊がもう一度登場します。
神功皇后が新羅から帰る途中、難波へ向かう船が海の上で進めなくなってしまいました。
務古水門(むこのみなと)に戻って占うと、神々がそれぞれ、自分をお祀りしてほしい場所を告げます。
そのとき、稚日女尊はこう告げました。
亦稚日女尊誨之曰「吾欲居活田長峽國。」因以海上五十狹茅、令祭。
(『日本書紀』巻第九・神功皇后摂政元年)
読みやすくしてみると、「また、稚日女尊が教えて言った。『私は活田長峡国(いくたのながおのくに)に居りたい』。そこで、海上五十狭茅(うながみのいさち)にお祀りさせた」。
この「活田(いくた)」が、今の神戸の生田神社の始まりとされています。
同じ場面で、天照大神の荒魂、事代主尊、住吉三神の和魂も、それぞれの鎮まる場所を告げています。
その他の文献【史料】
稚日女命について、古事記・日本書紀のほかに古い時代にまとまって書かれた史料は、今回は確認できませんでした。
古史古伝での扱い
古史古伝での稚日女命の扱いについては、内容を確かめられる資料が見つからなかったため、この記事では紹介を控えます。
御神徳(ご利益)
- 物を生み育て、万物の成長を守る:生田神社の公式サイトでは、物を生み育て万物の成長をご加護する神様として崇敬を集めている、と紹介されています。
- 家庭や暮らしの守り:生田神社の公式サイトでは、国民の生活が豊かになるよう、企業や団体の繁栄、健康、家庭生活を守るご神徳があるとされています。
- 身体の創生と心の安定:玉造稲荷神社の公式サイトでは、身体の創生ならびに精神の安定をつかさどる神様と紹介されています。
祀る主な神社
生田神社(神戸市中央区)
稚日女尊を主祭神とする神社で、神戸の地名の由来にもなったといわれる古社です【伝承】。
公式サイトによると、神功皇后元年(西暦201年)、三韓外征の帰り道に、今の神戸港で船が進まなくなったため占いをすると、稚日女尊が現れて「私は活田長峡国に居りたい」と告げたので、海上五十狭茅を神主としてお祀りしたのが始まりとされています。
また公式サイトには、延暦18年(799年)の洪水で社殿が被害を受けたとき、生田村の刀禰七太夫(とねしちだゆう)という人がご神体を背負って7、8日間鎮座地を探し歩き、生田の森に来たところで、突然ご神体が重くなって歩けなくなったので、そこにお祀りした、という話も紹介されています【伝承】。
玉造稲荷神社(大阪市中央区)
宇迦之御魂大神を主祭神とし、稚日女命を配祀神の一柱としてお祀りしています。
公式サイトでは、稚日女命は天照大御神の妹神ともいわれ、高野山の鎮守・丹生都比売命(にうつひめのみこと)もこの神の別名といわれる、と紹介されています。
くわしくは玉造稲荷神社の記事で紹介しています。
古神道的な読み解き
天照大御神の和魂?
生田神社では、稚日女命を天照大御神の和魂、あるいは妹神と伝えています。
日本書紀の同じ場面で、天照大神は「私の荒魂は、皇居に近づけてはならない。広田国に鎮まるのがよい」と告げています。
天照大神の荒魂が広田(西宮市の広田神社)に、そして稚日女尊が生田に。
二つの場所が近いことから、稚日女命を天照大御神の和魂とみる考え方が生まれたのかもしれません【噂・俗説】。
魂の働きについては、一霊四魂の記事で紹介しています。
機織りと神様
稚日女命は、神様の衣を織る女神様でした。
古代、機織りは神様に捧げる大切な仕事で、神様の衣を織る女性は、神様に仕える神聖な存在と考えられていました。
天津甕星を従わせた倭文神(しとりがみ)も、機織りの神様です。
織ることは、祈ることでもあったのかもしれません。
まこも考察
ここからはまこもの考察です。
稚日女命は、日本書紀の中で、二度登場します。
一度目は、機から落ちて亡くなる、悲しい場面。
二度目は、神功皇后の前に現れて、「活田に居りたい」と告げる場面。
僕は、この二つの場面をつなげて読むと、とても心が温かくなります。
高天原で、神様の衣を織りながら、乱暴な出来事で命を落とした女神様。
その女神様が、長い時を経て、今度は自分の意思で「ここに居たい」と場所を選び、人々にお祀りされるようになった。
失われたものは、それで終わりではない。
形を変えて、また別の場所で、人々を守る存在になる。
稚日女命が「物を生み育て、万物の成長を守る」神様として信仰されているのも、そんな再生の物語を背負っているからなのではないでしょうか。
僕は機織りどころか、ボタン付けでも指に針を刺してしまうので、稚日女命には手先の器用さもお願いしたいところです。
他の神様とのつながり
- 天照大御神:稚日女命は、その和魂あるいは妹神と伝えられる。稚日女命の死をきっかけに岩戸に隠れた
- 須佐之男命:斎服殿に皮をはいだ馬を投げ入れた
- 神功皇后(息長帯比売命):稚日女尊の神託を受け、活田長峡国にお祀りさせた
- 住吉三神・事代主神:同じ場面で、それぞれ鎮まる場所を告げた神様
- 宇迦之御魂神:玉造稲荷神社で一緒にお祀りされている
伝承・関連する話
【伝承】神戸の地名と生田神社
生田神社には、昔、神社の世話をする「神戸(かんべ)」と呼ばれる家々が置かれていて、それが「神戸(こうべ)」という地名の由来になった、という話がよく知られています【伝承】。
【伝承】生田の神酒と新羅の客人
生田神社の公式サイトによると、生田神社では、新羅からの客人に、生田で醸造した神酒をふるまっていたことが伝えられています。
客人の罪や穢れを祓い、心を和ませる、平和な外交の上でも大切な役目を担っていた、と紹介されています。
まとめ
- 稚日女命は、日本書紀に登場する、若々しい日の女神様で、天照大御神の和魂、あるいは妹神と伝えられています。
- 日本書紀の一書では、斎服殿で神様の衣を織っていたとき、素戔嗚尊の乱暴に驚いて亡くなり、それが天照大神の岩戸隠れのきっかけになりました。
- 神功皇后の帰り道には、「私は活田長峡国に居りたい」と告げ、神戸の生田神社の始まりになりました。
- 物を生み育て、万物の成長を守る神様として、生田神社や玉造稲荷神社でお祀りされています。
一度は命を落とし、やがて自ら選んだ地に鎮まった女神様。
その若々しい日の光は、今も神戸の森と大阪の町で、私たちを照らしてくれているんですよね。
よくある質問(FAQ)
Q. 稚日女命は、古事記にも出てきますか?
A. いいえ、古事記には名前が出てきません。ただ、古事記の天岩戸の神話には、機織りの女性が梭で体を傷つけて亡くなる、よく似た場面があります。
Q. 稚日女命と天照大御神は、どんな関係ですか?
A. 生田神社では、稚日女命を天照大御神の和魂、あるいは妹神と伝えています。名前の「ひるめ」も、天照大御神の別名「大日孁貴(おおひるめのむち)」と共通しています。
Q. 生田神社の始まりはいつですか?
A. 生田神社の公式サイトによると、神功皇后元年(西暦201年)、稚日女尊の「活田長峡国に居りたい」という神託によってお祀りされたのが始まりとされています。
Q. 稚日女命は、どこでお祀りされていますか?
A. 神戸市中央区の生田神社の主祭神で、大阪市中央区の玉造稲荷神社でも配祀神の一柱としてお祀りされています。
この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。
出典・参考文献
- 『日本書紀』巻第一 神代上(第七段 一書第一)、巻第九 神功皇后摂政元年 原文
- 生田神社 公式サイト「生田神社についてご紹介」 https://ikutajinja.or.jp/introduction
- 生田神社 公式サイト「由緒のご紹介」 https://ikutajinja.or.jp/history
- 玉造稲荷神社 公式サイト「ご祭神」 https://www.inari.or.jp/gosaishin


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