弟橘比売命ってどんな神様?荒れる走水の海に身を投じ、日本武尊を救った后

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しずまった夕暮れの海に浮かぶ畳の上から、遠くの船を見送る弟橘比売命の後ろ姿のイメージイラスト
弟橘比売命のイメージイラストです

この記事で分かること
弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)は、日本武尊の后です。

荒れる海をしずめるために、自ら海に入りました。
そのとき詠んだ歌、流れ着いた櫛、そして「あづま」という言葉のはじまり。
古事記と日本書紀の原文を見ながら、この后の物語をお話しします。

弟橘比売命を一言でいうと

夫を先へ進ませるために、自ら荒れる海へ入った后です。

日本武尊の物語の中で、いちばん心に残る場面の一つかもしれません。

名前の意味を見てみよう

  • おと(弟):妹、年下のほう
  • たちばな(橘):柑橘の木。常緑で、古くから縁起のよい木とされてきた
  • ひめ(比売):女性の尊称

「橘の妹姫」といった意味の名前です。
古事記では「弟橘比売命」、日本書紀では「弟橘媛」と書かれています。

弟橘比売命のプロフィール

項目内容
読みおとたちばなひめのみこと
表記弟橘比売命(古事記)/弟橘媛(日本書紀)
夫日本武尊(倭建命)
父穂積氏の忍山宿禰(おしやまのすくね。日本書紀)
子稚武彦王(わかたけひこのみこ。日本書紀)
場面走水の海で、夫の身代わりに海に入った
残した歌「さねさし相模の小野に…」(古事記)

どの文献に出てくる?

古事記【史料】

日本武尊の一行が、走水の海(今の浦賀水道のあたり)を渡ろうとしたときのことです。
海の神様が波を起こし、船はぐるぐる回って進めなくなってしまいました。

爾其后・名弟橘比賣命白之「妾、易御子而入海中。御子者、所遣之政遂、應覆奏。」
(『古事記』中巻・景行天皇記)

読みやすくしてみると、「そこで后の弟橘比売命が申し上げた。『私が御子の代わりに海に入りましょう。御子は、遣わされた務めを果たして、天皇にご報告なさってください』」。

弟橘比売命は、菅の畳を八枚、皮の畳を八枚、絹の畳を八枚、波の上に敷いて、その上に降りていきました。
すると荒波はしずまり、船は進むことができました。

最後の歌

海に入るとき、弟橘比売命はこう歌いました。

さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも

「相模の野原で、燃えさかる火の中に立って、私のことを気づかってくださったあなた」。

これは、少し前に相模の野で、日本武尊が国造にだまされて火に囲まれたときのことです(焼津の話)。
火に囲まれた危ないときにも、あなたは私のことを気にかけてくださった。
その思い出を胸に、弟橘比売命は海へ入っていったんです。

「さねさし」は「相模」にかかる枕詞です。

七日後の櫛

故七日之後、其后御櫛、依于海邊。乃取其櫛、作御陵而治置也。

「七日後、后の櫛が海辺に流れ着いた。そこでその櫛を取って、御陵を作って納めた」。

体は戻らず、櫛だけが戻ってきた。
とても切ない結末です。

日本書紀【史料】

日本書紀では、少しちがう形で描かれています。

日本武尊は相模から上総へ渡ろうとして、海を見て「こんな小さな海なら、跳んででも渡れる」と言いました。
ところが海の中ほどで暴風が起こり、船は漂って進めなくなります。

願賤妾之身、贖王之命而入海。
(『日本書紀』巻第七 景行天皇)

「どうか、いやしい私の身で、王の命をあがなって海に入らせてください」。
そう言って、弟橘媛は波をかき分けて海に入りました。
すると暴風はやみ、船は岸に着くことができました。
それで人々は、その海を「馳水(はしりみず)」と呼んだ、と日本書紀は書いています。

日本書紀では、日本武尊の「跳んででも渡れる」という言葉が、海の神様の怒りを招いたようにも読めます。

「あづま」のはじまり

日本武尊は、その後もずっと弟橘比売命のことを忘れませんでした。

古事記では足柄の坂で、日本書紀では碓日坂(碓氷峠)で、日本武尊は三度ため息をついて「あづまはや(わが妻よ、ああ)」と嘆きます。
それで東の国を「あづま」と呼ぶようになった、と伝えられています。

東日本を「あづま」「東国」と呼ぶ言葉の中には、弟橘比売命を想う日本武尊の嘆きが残っているんです。

古史古伝での扱い

古史古伝での弟橘比売命の扱いについては、内容を確かめられる資料が見つからなかったため、この記事では紹介を控えます。

御神徳(ご利益)

海をしずめた后として、海上安全や、夫婦の絆を願ってお参りする人がいます。
各地の神社では、海の守り神として信仰されています。

祀る主な神社

  • 橘樹神社(千葉県茂原市):流れ着いた櫛を納めた御陵の地と伝えられる
  • 走水神社(神奈川県横須賀市):走水の海のそばにあり、日本武尊と弟橘媛命をお祀りする

関東には、日本武尊と弟橘比売命にゆかりがあると伝える神社が、ほかにもたくさんあります。

古神道的な読み解き

海の神様をしずめる

古代の人々にとって、海は恵みをもたらすと同時に、命をうばう恐ろしい場所でもありました。
荒れる海は、海の神様の怒りだと考えられていました。
弟橘比売命の物語は、その怒りをしずめるために、大切なものをささげるという、古い信仰の姿を伝えています。

畳を八重に敷く

古事記では、弟橘比売命は菅・皮・絹の畳をそれぞれ八枚重ねて、波の上に敷きました。
八は「たくさん」を表す数で、畳を重ねるのは、神様をお迎えするときや、身分の高い人のための作法です。
弟橘比売命は、ただ身を投げたのではなく、神様のもとへ嫁ぐように、きちんと礼をつくして海に入った、とも読めます。

まこも考察

ここからはまこもの考察です。

弟橘比売命の物語で、僕がいちばん胸を打たれるのは、最後の歌です。

海に入る直前に思い出したのは、恐ろしい海のことでも、自分の運命のことでもありませんでした。
火に囲まれたあの日、夫が自分を気づかってくれたこと。
いちばん最後に心に浮かんだのが、大切な人にやさしくしてもらった記憶だったんです。

そして日本武尊も、その後ずっと弟橘比売命を忘れず、山の上から東の海をながめて「あづまはや」と嘆きました。
二人は海で別れましたが、お互いの心の中には、最後まで相手がいた。

「あづま」という言葉を聞くたびに、千数百年前のこの二人のことを、ほんの少し思い出してみる。
そんなふうに言葉を使えたら、少しすてきだなと思います。

僕も小さな船に乗るとすぐ酔ってしまうので、海の上で歌を詠む余裕がある弟橘比売命は、本当に強い方だったのだと思います。

他の神様とのつながり

  • 日本武尊:夫。その後もずっと弟橘比売命を想い続けた
  • 倭比売命:日本武尊の叔母。草薙剣と袋を授けた
  • 草薙剣:焼津で日本武尊を救った剣
  • 白鳥伝説:日本武尊の最期と、白鳥になった魂の話

伝承・関連する話

【伝承】木更津の「君去らず」

千葉県木更津市の地名は、弟橘比売命を失った日本武尊が、なかなかその地を去ることができなかった「君去らず」から来ている、という言い伝えがあります。
諸説あるうちの一つで、地名の本当の由来ははっきりしていません。

【伝承】流れ着いた櫛と袖

古事記では、七日後に弟橘比売命の櫛が海辺に流れ着いたとされています。
関東の各地には、その櫛や袖が流れ着いたと伝える場所が残っています。
千葉県茂原市の橘樹神社は、櫛を納めた御陵の地と伝えられています。

まとめ

  • 弟橘比売命は、日本武尊の后です。
  • 走水の海が荒れたとき、「私が御子の代わりに海に入りましょう」と言って海に入り、波をしずめました。
  • 最後に「さねさし相模の小野に」と、夫が自分を気づかってくれた日を思い出す歌を詠みました。
  • 七日後、櫛が海辺に流れ着き、それを納めて御陵が作られました。
  • 日本武尊が弟橘比売命を想って嘆いた「あづまはや」が、「あづま」という言葉の由来とされています。

海をしずめ、夫を先へ進ませた后。
その想いは、「あづま」という言葉の中に、今も静かに残っています。

よくある質問(FAQ)

Q. 弟橘比売命はなぜ海に入ったのですか?
A. 走水の海が荒れて船が進めなくなったとき、海の神様の怒りをしずめるために、日本武尊の身代わりとして海に入りました。

Q. 「さねさし」の歌はどんな意味ですか?
A. 「相模の野原で、燃えさかる火の中に立って、私を気づかってくださったあなた」という意味で、焼津で火に囲まれたときのことを思い出した歌です。

Q. 「あづま」という言葉と関係がありますか?
A. 日本武尊が弟橘比売命を想って「あづまはや(わが妻よ、ああ)」と嘆いたことから、東の国を「あづま」と呼ぶようになったと、古事記・日本書紀に書かれています。

この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。

出典・参考文献

  • 『古事記』中巻(景行天皇記・倭建命)原文
  • 『日本書紀』巻第七(景行天皇)原文

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