寒川神社ってどんな神社?全国唯一の八方除の守護神、相模国一之宮

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この記事で分かること
寒川神社(さむかわじんじゃ)は、神奈川県高座郡寒川町にある、相模国(さがみのくに)の一之宮です。

「全国唯一の八方除(はっぽうよけ)の守護神」として、地相・家相・方位などにまつわる災いを除く神様をお祀りしています。
御祭神の不思議、南西を向いた社殿の意味、そして神輿が海に入る浜降祭や、一之宮の座をめぐる「座問答」まで、この神社の魅力を史料と伝承に分けてお話しします。

寒川神社を一言でいうと

あらゆる方角からの災いを除く「八方除」の神様として、約千六百年の歴史を持つ、相模国一之宮です。

公式サイトによると、古くは朝廷をはじめ、源頼朝、武田信玄、徳川家代々、そして民間の人々まで、幅広い信仰を受けてきました。
今も、北は北海道から南は沖縄まで、全国から八方除の御祈祷を受けに人々が集まっているそうです。

引っ越し、新築、旅行、転職。
人生の「方角」に迷ったときに、背中を押してくれる神社なんです。

基本情報

項目内容
名前寒川神社(さむかわじんじゃ)
所在地神奈川県高座郡寒川町宮山3916
御祭神寒川比古命(さむかわひこのみこと)、寒川比女命(さむかわひめのみこと)。二柱を寒川大明神と奉称
社格相模国一之宮。『延喜式』で相模国13社のうち唯一の名神大社
御神徳八方除(全国唯一とされる)
主な祭り追儺祭(1月2日)、国府祭(5月5日)、浜降祭(7月・海の日)、例祭(9月20日)、流鏑馬神事(9月19日)など
文化財鉄錆地六十二間筋兜(武田信玄奉納、神奈川県指定重要文化財)など

※ 所在地・御祭神などは、2026年9月28日に寒川神社の公式サイトと神奈川県神社庁のページで確認しました。

御祭神【史料と伝承】

寒川比古命・寒川比女命

御祭神は、寒川比古命・寒川比女命の二柱で、あわせて「寒川大明神」と呼ばれています。

公式サイトによると、寒川大明神は相模国を中心に広く関東地方を開拓し、衣食住など人間生活の根源を開発・指導した、関東地方の文化の生みの親の神様として敬われてきました。

実は、この二柱の神様は、古事記にも日本書紀にも登場しません。
その正体には、昔からいろいろな説があります(くわしくは寒川比古命・寒川比女命の記事で紹介しています)。

由緒と歴史の変遷

約千六百年の歴史

公式サイトによると、寒川神社の正確な創祀の年代は、今残る資料には書かれていません。
ただ、『総国風土記』には雄略天皇(456〜479年)の時代に幣帛(へいはく)が奉納されたとあり、また神亀4年(727年)に社殿が建てられたと伝える記録もあることから、少なくとも約千六百年の歴史を持つとされています。

公の記録として残る最初のものは、承和13年(846年)に神階従五位下を授けられたという『続日本後紀』の記事です。
その後、神階は次々と上がり、平安時代の『延喜式』神名帳では、相模国の13社のうち、ただ一つの名神大社とされています。

武将たちの信仰

公式サイトと神奈川県神社庁のページによると、中世には源頼朝や小田原北条氏が社殿を造営したり、社領を寄進したりしました。
武田信玄は、永禄12年(1569年)10月の小田原城攻めのとき、寒川神社に立ち寄って兜を奉納し、「信玄芝原」で兵を休めた、という逸話が残っています【伝承】。
そのとき奉納された兜「鉄錆地六十二間筋兜(てつさびじろくじゅうにけんすじかぶと)」は、今も寒川神社に伝わっていて、神奈川県の重要文化財に指定されています。

江戸の裏鬼門を守る神社

公式サイトによると、寒川神社は、江戸(今の皇居)から見て南西(坤=ひつじさる)の方角にあり、江戸の裏鬼門にあたります。
また、ふつう社殿は南向きか東向きに建てられるのに、寒川神社の社殿は南西を向いているそうです。
そのため、古くから関八州(関東八か国)の守護神として、また江戸の裏鬼門を守る神社として崇敬され、とりわけ八方除・方位除の神様として信仰されてきた、と説明されています。

鬼門・裏鬼門や方違えなど、方位の信仰については「八方除と方位の信仰とは?」で詳しく紹介しています。

八方除とは

公式サイトによると、八方除とは、地相・家相・方位・日柄などに起因する、すべての禍事(まがごと)・災難を取り除き、家業繁栄・福徳円満をもたらす、寒川大明神の全国唯一の御神徳です。
「大難は小難に、小難は無難に、そして吉事は最大に」。
公式サイトは、八方除を「人生の羅針盤」と表現しています。

御祈祷を受けると、九体一組の「八方札」などが授与されることがあり、家の中央と八方に祀って、各方位からの災難を除けるそうです(大式以上)。

境内の見どころ

神門と迎春ねぶた

公式サイトによると、重層の神門は平成5年(1993年)に竣功しました。
毎年、元日から2月23日まで、青森のねぶた飾り「迎春ねぶた」が神門に飾られ、くぐると厄除けになるといわれて、多くの参拝者でにぎわいます【伝承】。
相模の神社に、青森のねぶた。
なんとも意外で、楽しい組み合わせです。

御神木の二本杉

公式サイトによると、寒川神社の御神木は、御本殿の脇にある二本の杉です。
ここには、御祭神の寒川比古命と寒川比女命が宿ると言い伝えられています【伝承】。

渾天儀(こんてんぎ)

拝殿の右側には、天体の位置を観測する器具「渾天儀」のレプリカがあります。
公式サイトによると、星の運行は方角を教えてくれるだけでなく、国家の命運をも握ると昔から考えられてきました。
天体観測で暦が作られ、その暦で日々の吉凶が占われた。
方位の神様の神社らしい見どころです。
四隅には、龍が天空を支えるという故事にならって、龍が配置されています。

神嶽山神苑と難波の小池

御本殿の奥にある「神嶽山(かんたけやま)」は、古くから禁足地として足を踏み入れることができなかった場所でした(神奈川県神社庁)。
平成21年(2009年)から、その杜が「神嶽山神苑」として整備され、公開されています。

神苑の中心にあるのが、「難波の小池(なんばのこいけ)」です。
公式サイトによると、古くから御本殿の真裏にあり、寒川神社の起源に深く関わる神聖な泉と伝えられてきました。
1月2日の追儺祭では、この池の水を竹筒に汲んで神前に供えたあと、境内にまいて一切の邪気を祓うそうです。

神苑には、八方除の資料を展示する「方徳資料館」や、茶屋「和楽亭」、御本殿を裏から拝む「裏参拝所」もあります。
※神苑への入苑は、御祈祷を受けた人に限られます。開苑期間は3月上旬から12月13日までで、月曜日は休苑(祝祭日は開苑)です(公式サイト)。

神事・例祭の意味

追儺祭(1月2日)

「鬼やらい」とも呼ばれる、年の初めにその年の災いを除く神事です。
神奈川県神社庁のページによると、午後8時、古式にのっとって浄闇(じょうあん)の境内で行われ、令和2年に寒川町の重要文化財に指定されています。
公式サイトによると、神事のあと、神前に供えられた弓矢が災難除けのお守りとして参列者に頒布されます。

武佐弓祭(1月8日)

公式サイトによると、青竹に懸けた古式の大的に向かって、神職二人が交互に矢を三回射て、その当たり具合でその年の吉凶を占う神事です。

国府祭(5月5日)【伝承】

相模国の一之宮・寒川神社、二之宮・川勾神社、三之宮・比々多神社、四之宮・前鳥神社、一国一社・平塚八幡宮、そして総社・六所神社の六社が、大磯町の神揃山(かみそろいやま)などに集まる、平安時代から続くとされるお祭りです(比々多神社・六所神社の公式サイト)。

このお祭りでいちばん有名なのが、「座問答(ざもんどう)」です。
比々多神社の公式サイトによると、その昔、相模国は「相武(さがむ)」と「磯長(しなが)」に分かれていて、二つの国が合わさったとき、寒川神社と川勾神社のどちらが一之宮になるかを決めなければなりませんでした。
これを神事にしたのが座問答です。

寒川神社と川勾神社が、神様の座(虎の皮が使われます)を交互に上位へ進めることを三度くり返すと、三之宮の比々多神社の宮司が仲裁役として「いずれ明年まで」と声をかけて、円満に解決するのだそうです。

毎年、決着は「来年まで」。
千年以上も、ずっと「来年まで」を続けている。
僕も、部屋の片づけはいつも「いずれ明年まで」で先送りにしているので、この神事にはとても親近感がわきます。

浜降祭(7月・海の日)【伝承】

茅ヶ崎市の公式サイトによると、茅ヶ崎海岸の南湖の浜に、寒川・茅ヶ崎地区の神輿約40基が集まり、夜明けの海に入る、勇壮なお祭りです。
神輿が海水で清められることから「みそぎ神事」とも呼ばれ、昭和53年に神奈川県の無形民俗文化財に指定されています。
浜降祭の二つの起源や、よく似た江の島の天王祭については「浜降祭とは?」で紹介しています。

その起源には、こんな伝承があります。
天保9年(1838年)、国府祭に渡御した寒川神社の神輿が、帰り道、相模川の渡し場で寒川の氏子が争いを起こし、川に落ちて行方不明になってしまいました。
その数日後、南湖の網元・孫七さんが、漁の最中にこの御神体を見つけて、寒川神社に届けました。
それをきっかけに、毎年寒川神社の神輿が、お礼のために南湖の浜へ行って禊をするようになった、と言い伝えられています(茅ヶ崎市)。

さらに、鶴嶺八幡宮の禊の神事と合わさり、明治9年(1876年)に、旧暦6月29日だった神事を新暦7月15日に定め、「浜降祭」と呼ばれるようになりました。
今は、7月の第三月曜日「海の日」に行われていて、寒川神社では7月15日に「浜降古式祭」も行われています(公式サイト)。

例祭(9月20日)と流鏑馬神事(9月19日)

例祭は、寒川神社でいちばん重要なお祭りです。
前日の9月19日には、流鏑馬神事が行われます(公式サイト)。

古神道的な視点での読み解き

方位と神様

古代の日本では、方角には吉凶があると考えられ、陰陽道の影響も受けて、方違え(かたたがえ)などの習わしが生まれました。
寒川神社の八方除は、そうした方位の災いをすべて除く御神徳とされています。
渾天儀が置かれているのも、星と暦と方位が、人々の暮らしの吉凶と深く結びついていたことを物語っています。

泉から始まる神社

寒川神社の起源に深く関わるとされる「難波の小池」。
公式サイトの境内案内によると、寒川神社が鎮座する台地は、古代には相模湾が入りこんでいたと思われる土地で、霊峰富士を源とする相模川がおりなす自然の中にあります。
水が湧き、川が流れ、海へと注ぐ。
水の恵みのそばで、この土地の神様がお祀りされてきたんですね。

まこも考察

ここからはまこもの考察です。

寒川神社を調べていて、僕がいちばん心を動かされたのは、国府祭の「座問答」です。

一之宮の座を決める大事な問答。
でも、その答えは、毎年「いずれ明年まで」。
千年以上も、決着をつけないまま、毎年同じように顔を合わせ、同じように先送りにしてきた。

僕は、これはとても日本らしい、そして神様らしい知恵だと思います。
白黒をはっきりつけてしまえば、どちらかが負けて、わだかまりが残る。
でも、「来年まで」と言い合えば、また来年も、みんなで集まることができる。
決着をつけないことで、関係を続けていく。
争いを、毎年の「再会の約束」に変えてしまったんです。

浜降祭も、そうです。
川で行方不明になった神様を、漁師さんが見つけて届けてくれた。
そのお礼に、神様が毎年海へ出かけていく。
ここにも、人と神様、人と人とのつながりを、毎年のお祭りとして続けていこうとする心が見えます。

八方除は、あらゆる方角からの災いを除く御神徳です。
でも、本当に大切なのは、どの方角に進んでも、誰かとのつながりが続いていくこと。
寒川神社のお祭りは、そんなことを教えてくれているような気がするんです。

伝承・関連する話

【伝承】信玄芝原

公式サイトによると、武田信玄は小田原城攻めの際、寒川神社に立ち寄って兜を奉納し、「信玄芝原」で兵を休めたという逸話が残っています。
敵地の真ん中で、神様に祈りを捧げて一息ついた戦国武将の姿が、目に浮かぶようです。

【伝承】神池橋

公式サイトによると、三の鳥居の前の神池にかかる太鼓橋「神池橋」は、神様がお渡りになる橋といわれています。

寒川神社ゆかりの作品・モデルになった作品

相模薪能

作品ではありませんが、公式サイトによると、寒川神社では終戦記念日の8月15日に、世界の平和を祈って、昭和45年(1970年)から「相模薪能」が行われています。

参拝の作法・アクセス・御朱印

※ 以下の情報は、2026年9月28日に寒川神社の公式サイトで確認したものです。変更されることがあるので、お出かけの前に公式サイトで最新の情報を確認してください。

参拝のしかた

参拝は、一般的な神社と同じく「二拝二拍手一拝」です。
八方除の御祈祷は、客殿で受け付けています。
公式サイトによると、受付では神職が願いごとを聞いて、その内容にふさわしい御祈祷をしてくれるそうです。

アクセス

  • 電車:JR相模線「宮山駅」から徒歩約5分
  • 車:寒川北インターから、中里交差点経由で約2〜3分
  • 駐車場:第一〜第三駐車場あり
寒川神社の地図(Googleマップ)

御祈祷の受付時間

  • 午前8時〜午後5時(午後5時までに来社)。年中無休
  • 正月期間は受付開始時間が早くなります

お問い合わせ

まとめ

  • 寒川神社は、神奈川県寒川町にある相模国一之宮で、全国唯一の八方除の守護神として知られています。
  • 御祭神は寒川比古命・寒川比女命(寒川大明神)で、古事記・日本書紀には登場しない、関東を開拓したとされる神様です。
  • 社殿は南西を向き、江戸の裏鬼門を守る神社としても崇敬されてきました。
  • 御本殿の奥には、起源に関わる泉「難波の小池」を中心とした神嶽山神苑があります。
  • 国府祭の座問答は毎年「いずれ明年まで」で円満解決、浜降祭は川で行方不明になった御神体を漁師が見つけたことから始まったと伝えられています。

どの方角に進んでも、つながりを大切にしていけるように。
寒川神社は、人生の羅針盤のような神社なんですよね。

よくある質問(FAQ)

Q. 八方除とは何ですか?
A. 地相・家相・方位・日柄などに起因するすべての災いを取り除き、家業繁栄・福徳円満をもたらすという、寒川大明神の御神徳です。寒川神社では「全国唯一の八方除の守護神」とされています。

Q. 寒川神社の神様は、古事記に出てきますか?
A. いいえ、寒川比古命・寒川比女命は、古事記にも日本書紀にも登場しません。関東地方を開拓した神様として伝えられています。

Q. 座問答とは何ですか?
A. 5月5日の国府祭で行われる神事で、寒川神社と川勾神社が一之宮の座を争い、三之宮の比々多神社の宮司が「いずれ明年まで」と仲裁して円満に解決するものです。

Q. 浜降祭はいつ見られますか?
A. 茅ヶ崎市の公式サイトによると、7月の第三月曜日(海の日)に、茅ヶ崎海岸の南湖の浜で行われます。お出かけの前に、茅ヶ崎市や寒川神社の最新情報を確認してください。

この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。

出典・参考文献

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