建御名方神ってどんな神様?国譲りで力比べを挑んだ諏訪の大神

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真冬の凍った湖のほとりで、氷の上に続く一本の道を見つめる建御名方神のイメージイラスト
建御名方神のイメージイラストです

この記事で分かること
建御名方神(たけみなかたのかみ)は、国譲りの場面で、ただ一柱、天つ神の使いに力比べを挑んだ神様です。

古事記の原文に描かれた力比べの場面、日本書紀には一度も出てこない不思議、そして「お諏訪さま」として全国で親しまれるようになるまでを、史料と伝承に分けてお話しします。

建御名方神を一言でいうと

国譲りに最後まで抵抗し、建御雷神に敗れて諏訪の地に鎮まった、力強い神様です。

長野県の諏訪大社の御祭神で、「お諏訪さま」「諏訪大明神」として、全国に約一万社あるといわれる諏訪神社にお祀りされています(諏訪大社 公式サイト)。

負けた神様なのに、今は武勇の神様、勝負の神様として信仰されている。
このふしぎな逆転が、この神様のいちばんの魅力なんですよね。

名前の意味を見てみよう

「たけみなかた」は、「たけ(建)」と「みなかた(御名方)」に分けて考えられています。

  • たけ(建):勇ましい、強い
  • みなかた(御名方):意味には説がたくさんあります

國學院大學の神名データベースでは、「御名方」について次のような説が紹介されています。

  • 「御」はほめ言葉、「名」は名前、「方」は尊称とみる説
  • 阿波国の名方郡などの地名とみる説
  • 「宗像(むなかた)」ともとは同じ言葉だったとみる説
  • 「水潟(みなかた)」で、諏訪湖に縁のある名前とみる説

平安時代の『延喜式』では、諏訪大社は「南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)」と書かれています。
「みなかた」という響きは、古くから諏訪の神様と結びついていたんです。

建御名方神のプロフィール

項目内容
読みたけみなかたのかみ
表記建御名方神(古事記)
呼ばれ方諏訪大明神、お諏訪さま、南方刀美神
親大国主命(父)。母は古事記には書かれていない(『先代旧事本紀』では沼河比売〈ぬなかわひめ〉)
きょうだい事代主神など
妃神八坂刀売神(やさかとめのかみ)(諏訪大社の御祭神)
分類国つ神(くにつかみ)

どの文献に出てくる?

古事記【史料】

千人がかりの岩を持って登場

建御雷神が出雲の伊那佐の浜で国譲りを迫り、事代主神が国を譲ることを受け入れたあと、建御雷神は大国主命にもう一度尋ねます。
「ほかに意見を言う子はいるか」。

大国主命は、こう答えました。

亦我子有建御名方神、除此者無也。
(『古事記』上巻・大国主神の国譲り)

読みやすくしてみると、「もう一柱、私の子の建御名方神がおります。そのほかにはおりません」。

ちょうどそのとき、建御名方神がやって来ます。

其建御名方神、千引石擎手末而來、言「誰來我國而、忍忍如此物言。然欲爲力競。故、我先欲取其御手。」

「建御名方神は、千人がかりで引くほどの大きな岩を、手の先にひょいと載せてやって来て、こう言った。『誰だ、俺の国に来て、こそこそとそんな話をしているのは。それなら力比べをしよう。まずは俺がお前の手を取ってやる』」。

登場のしかたが、とにかく豪快です。
僕なんて、スーパーの袋を両手に持っただけで、指に跡がついてしまうのに。

手が氷柱と剣に変わる

ところが、建御名方神が建御雷神の手を取ると、その手はたちまち氷柱(つらら)に変わり、次には剣の刃に変わりました。
建御名方神はおそれて、あとずさりします。

今度は建御雷神が、建御名方神の手を取りました。

如取若葦搤批而投離者、卽逃去。

「若い葦をつかむように、握りつぶして放り投げると、建御名方神はたちまち逃げ出した」。

諏訪湖のほとりで誓う

建御雷神は追いかけて、科野国(しなののくに、今の長野県)の州羽海(すわのうみ)まで追いつめます。
殺されそうになった建御名方神は、こう申し出ました。

恐、莫殺我。除此地者、不行他處。亦不違我父大國主神之命。不違八重事代主神之言。此葦原中國者、隨天神御子之命獻。

読みやすくしてみると、「おそれ入りました。どうか私を殺さないでください。私はこの地のほかには、どこへも行きません。父の大国主神の言葉にも、兄弟の八重事代主神の言葉にも背きません。この葦原中国は、天つ神の御子のお言葉どおりに献上いたします」。

「この地から出ない」という誓い。
これが、建御名方神が諏訪の神様になった由来として、古くから語られてきました。

日本書紀【史料】

実は、日本書紀には、建御名方神は一度も登場しません。
日本書紀の国譲りの場面では、事代主神が国を譲ると答え、大己貴神(大国主命)もそれに従って、話はそこで終わります。
力比べの場面も、ありません。

ただし、日本書紀の持統天皇5年(691年)8月の記事には、次のような一文があります。

遣使者祭龍田風神・信濃須波・水內等神。
(『日本書紀』巻第三十・持統天皇五年八月)

「使いを遣わして、龍田の風の神、信濃の須波(すわ)、水内(みのち)などの神をお祀りさせた」。

ここに「建御名方神」という名前はありません。
でも、7世紀の終わりには、朝廷が「信濃の須波の神様」をお祀りしていたことが分かります。
諏訪大社の公式サイトでも、この持統天皇5年の勅使が、朝廷の崇敬の始まりとして紹介されています。

その他の文献【史料】

延喜式 神名帳
平安時代の『延喜式』神名帳には、信濃国諏訪郡の「南方刀美神社」が名神大社として載っています。
今の諏訪大社にあたる神社で、信濃国の神社の中で最初に名前が書かれています(諏訪大社 公式サイト)。

先代旧事本紀
平安時代の初めごろにまとめられたとされる『先代旧事本紀』では、建御名方神は大国主命と沼河比売の子で、「信濃国諏訪郡の諏訪神社にいる」と書かれています(國學院大學 神名データベース)。

続日本後紀
国の歴史書の中で「建御名方」という名前がはっきり使われるのは、承和9年(842年)の『続日本後紀』の記事からだとされています(國學院大學 神名データベース)。

諏訪大明神画詞(すわだいみょうじんえことば)
延文元年(1356年)にまとめられた諏訪大社の縁起絵巻です。
ここでは、諏訪の神様が、もともとこの地にいた洩矢神(もりやのかみ)を倒して鎮まった、と語られています(國學院大學 神名データベース)【伝承】。

古史古伝での扱い

古史古伝での建御名方神の扱いについては、内容を確かめられる資料が見つからなかったため、この記事では紹介を控えます。

御神徳(ご利益)

諏訪大社の公式サイトでは、建御名方神の御神徳を次のように紹介しています。

  • 雨・風・水の守り神:雨や風をつかさどる神様、龍神としても信仰されています。
  • 農業・狩猟・航海の守り神:五穀豊穣を祈る神様、水の信仰から海の守り神としても親しまれています。
  • 武勇・勝負の神様:坂上田村麻呂、源頼朝、武田信玄、徳川家康など、多くの武将に信仰されてきました。

力比べに負けた神様が、勝負の神様としてあがめられている。
負けを知っている神様だからこそ、勝負に向かう人の気持ちが分かるのかもしれません。

祀る主な神社

諏訪大社(長野県)

建御名方神をお祀りする、全国の諏訪神社の総本社です。
諏訪湖をはさんで、南側に上社の前宮・本宮、北側に下社の春宮・秋宮の四社があります。

公式サイトによると、上社本宮の御祭神が建御名方神、前宮が妃神の八坂刀売神、下社の春宮・秋宮は建御名方神・八坂刀売神・八重事代主神です。
本宮・春宮・秋宮には本殿がなく、上社は御神体の山を、下社は御神木(春宮は杉、秋宮はイチイ)を拝む、古い信仰の姿を残しています。

7年に一度、寅年と申年に行われる「御柱祭(おんばしらさい)」は、山から切り出した大木を、社殿の四隅に建てる大祭として知られています。

全国の諏訪神社

北海道から鹿児島まで、諏訪大神をお祀りする神社は約一万社あるといわれています(諏訪大社 公式サイト)。
「諏訪神社」「南方神社」などの名前の神社があったら、建御名方神をお祀りしている可能性が高いですよ。

古神道的な読み解き

記紀での立ち位置

国譲りの場面で、事代主神は言葉で、建御名方神は力で、それぞれ答えを出しました。
國學院大學の神名データベースでは、事代主神の服従は「宗教的な力」を、建御名方神の服従は「政治的・武力的な力」を天つ神にゆだねたことを表す、という見方が紹介されています。

言葉と力。
大国主命の二柱の子が、それぞれの形で国を譲ったことで、国譲りは完成したんです。

なぜ日本書紀に出てこないのか

建御名方神が古事記にしか出てこないこと、しかも古事記の大国主命の系譜にも名前がないことは、昔から大きな謎とされてきました。

  • 古事記の力比べの話は、あとから付け加えられたものだとする説
  • 系譜と物語は補い合うもので、たまたま系譜に書かれなかっただけとする説

どちらが正しいのかは、はっきりしていません(國學院大學 神名データベース)。

力比べは相撲の始まり?

建御雷神と建御名方神の力比べは、農耕のお祭りで行われた相撲の神事が反映されたもの、とみる説があります。
そのため、この場面は「相撲の起源」として紹介されることもあります【伝承】。

まこも考察

ここからはまこもの考察です。

建御名方神の物語は、「負けた神様」の物語です。
でも、僕はこの神様の本当の見せ場は、力比べではなく、そのあとの誓いの言葉にあると思っています。

「除此地者、不行他處(この地のほかには、どこへも行きません)」。

追いつめられた建御名方神は、ただ命ごいをしたのではありません。
自分の居場所を決めて、「ここで生きる」と誓ったんです。

そしてその誓いどおり、建御名方神は諏訪の地を離れずに、雨や風、水を守り、田畑や狩りの恵みをもたらす神様になりました。
戦いに負けたことが、この神様にとって、新しい土地に根を下ろす始まりになったのかもしれません。

諏訪大社の本宮・春宮・秋宮に本殿がなく、山や木そのものを拝むのも、印象的です。
建物の中に閉じこもるのではなく、諏訪の山と森と湖、そのすべてに宿っている。
「ここから出ない」と誓った神様は、その土地そのものになったのだと、僕には思えるんです。

他の神様とのつながり

  • 大国主命:父。国譲りで「もう一柱の子がいる」と建御名方神の名を挙げた
  • 事代主神:兄弟。先に国譲りを受け入れた。諏訪大社の下社でも一緒にお祀りされている
  • 建御雷神:力比べの相手。建御名方神を諏訪まで追いつめた
  • 八坂刀売神(やさかとめのかみ):妃神。諏訪大社上社前宮・下社の御祭神
  • 洩矢神(もりやのかみ):諏訪大明神画詞で、建御名方神と争ったとされる諏訪の土地の神様

伝承・関連する話

【伝承】御神渡り(おみわたり)

真冬の諏訪湖では、湖の氷が大きく盛り上がって、一本の道のように割れ目が走ることがあります。
これを「御神渡り」と呼び、上社の男神が、下社の女神のもとへ通った道すじだと伝えられています(諏訪大社 公式サイト)。
その道すじの方角や形から、その年の吉凶を占うならわしもあります。

国譲りで敗れた神様が、冬の湖を渡って妃神に会いに行く。
なんだかとても人間らしくて、あたたかい話ですよね。

【伝承】諏訪の七不思議

諏訪大社には、「七不思議」が伝えられています(諏訪大社 公式サイト)。

  • 御神渡り:諏訪湖の氷が割れて道のようになる
  • 元朝の蛙狩り:どんなに寒い年でも、元日の神事で川底から蛙が見つかる
  • 五穀の筒粥:一晩炊いた粥で、その年の作物の出来を占う。その占いはとても正確だといわれる
  • 高野の耳裂鹿:御頭祭で供えられる七十五頭の鹿の頭の中に、毎年必ず耳の裂けたものがある
  • 葛井の清池:大晦日の夜に沈めた幣が、元日には遠州(静岡県)の池に浮かび上がる
  • 宝殿の天滴:どんな日照りのときでも、宝殿の屋根から三滴の水が落ちる
  • 御作田の早稲:6月30日に植えた苗が、1か月後には実って神前に供えられる

どれも、水や自然の恵みと深く結びついた不思議です。
「雨や風、水の神様」という建御名方神の姿が、ここにもよく表れています。

建御名方神が登場する作品・モデルになった作品

『東方風神録 ~ Mountain of Faith.』(ゲーム)

同人ゲームのシリーズ「東方Project」の第10弾で、諏訪の神話や神事をもとにした世界が描かれています。
東方Projectの情報を発信するウェブメディア「東方我楽多叢誌」の聖地巡礼記事では、登場する神様・八坂神奈子(やさかかなこ)の元ネタと思われるものとして、諏訪大社にお祀りされている諏訪明神(建御名方命と八坂刀売命)が紹介されています。
ただし、これは記事を書いた人の見立てで、作者が公式に「モデル」と明言したものではありません。

同じ記事では、もう一柱の神様・洩矢諏訪子(もりやすわこ)がたばねる「ミシャグジさま」の元ネタにもふれられています。
諏訪大明神画詞に出てくる洩矢神と建御名方神の物語を知っていると、この作品がもっと楽しめるかもしれません。

まとめ

  • 建御名方神は、大国主命の子で、国譲りで建御雷神に力比べを挑んだ神様です。
  • 手を取ると氷柱や剣に変わる建御雷神に敗れ、科野国の州羽海(諏訪)まで逃れて、「この地から出ない」と誓いました。
  • 日本書紀には登場しないうえ、古事記の系譜にも名前がなく、その成り立ちには謎が多く残されています。
  • 諏訪大社の御祭神として、全国に約一万社あるといわれる諏訪神社で「お諏訪さま」と親しまれています。
  • 雨・風・水の守り神、農業や狩猟の神様、そして武勇・勝負の神様として、多くの人に信仰されてきました。

力比べに負けて、それでも「ここで生きる」と決めた神様。
その誓いは、今も諏訪の山と湖の中で、静かに守られているんですよね。

よくある質問(FAQ)

Q. 建御名方神は、どうして諏訪の神様なのですか?
A. 古事記では、国譲りの力比べに敗れた建御名方神が、科野国の州羽海まで逃れ、「この地のほかには行かない」と誓ったと書かれています。この話から、諏訪の地にとどまった神様とされています。

Q. 建御名方神は、日本書紀にも出てきますか?
A. いいえ、日本書紀には登場しません。ただし、日本書紀の持統天皇5年の記事に、朝廷が「信濃の須波の神」をお祀りしたことが書かれています。

Q. 負けた神様なのに、なぜ勝負の神様なのですか?
A. 力の強い神様として、古くから武将たちに信仰されてきたからです。坂上田村麻呂や源頼朝、武田信玄などが、諏訪の神様に戦勝を祈ったと伝えられています。

Q. 御柱祭とは何ですか?
A. 諏訪大社で、寅年と申年の7年目ごとに行われる大祭です。山から切り出した大木(御柱)を、社殿の四隅に建てます。

この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。

出典・参考文献

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