この記事で分かること
埼玉県の秩父や東京都の奥多摩の山々には、狼を「お犬様」としてお祀りする神社がいくつもあります。
なぜ狼が神様のお使いになったのか。
どうして同じような伝承が、あちこちの山に残っているのか。
三つの神社の公式の説明をもとに、狼と人の長いつきあいをお話しします。
狼信仰を一言でいうと
山に生きる狼を、神様のお使い「お犬様」として敬い、守っていただく信仰です。
狼は、人にとって恐ろしい存在でした。
でも同時に、畑を荒らす猪や鹿を追い払ってくれる、頼もしい存在でもありました。
その両方の顔を持つ狼を、昔の人は神様のお使いとしてお祀りしたんです。
「お犬様」の神社【伝承】
三峯神社(埼玉県秩父市)
三峯神社の公式サイトによると、日本武尊が三峯山で伊弉諾尊・伊弉册尊をお祀りしたとき、道案内をしたのが狼(山犬)で、神様のお使いとして一緒にお祀りされています。
お犬様は大口真神という神名で、境内の遠宮(御仮屋)にお祀りされています。
武蔵御嶽神社(東京都青梅市)
武蔵御嶽神社の公式サイトによると、日本武尊が御岳山から西北へ進もうとしたとき、深山の邪神が大きな白鹿となって道をふさぎました。
山蒜で白鹿を退治したものの、雲や霧がわいて道に迷ってしまいます。
そこへ白狼が現れ、日本武尊の軍を導きました。
日本武尊は白狼に「大口真神としてこの御岳山に留まり、すべての魔物を退治せよ」と言った、と伝えられています。
寳登山神社(埼玉県長瀞町)
寳登山神社(ほどさんじんじゃ)の公式サイトによると、景行天皇の時代、日本武尊が東国平定の帰りに宝登山の美しさにひかれ、みそぎをして山頂をめざしました。
ところが突然の山火事で進むことも戻ることもできなくなったとき、どこからともなく山犬たちが現れて、またたく間に火を消し止め、一行を山頂まで案内すると、姿を消してしまいました。
日本武尊は、山の神様がお使いの山犬(大口真神)をつかわして救ってくださったのだと悟り、山頂に神様をお祀りして、山の名を「火を止める山」、つまり「火止山(ほどさん)」と定めた、と伝えられています。
公式サイトでは、この山犬様(大口真神)は山の神様のお使いで、御眷属さまと呼ばれる、と紹介されています。
三つの神社の共通点
三つの神社には、いくつもの共通点があります。
| 神社 | 日本武尊を助けた狼 | 御眷属拝借 |
|---|---|---|
| 三峯神社 | 道案内をした | 1年間お借りする |
| 武蔵御嶽神社 | 迷った軍を導いた(白狼) | おいぬ様のお札 |
| 寳登山神社 | 山火事を消し止めて山頂へ案内した(山犬) | 1年間お借りして、翌年借りかえる |
どの神社でも、日本武尊を狼が助け、その狼がお使いとしてお祀りされています。
秩父から奥多摩へ続く山々に、同じ「お犬様」の信仰が広がっているんです。
日本書紀の「白い犬」【史料】
この伝承のもとになったと考えられるのが、日本書紀の景行天皇の巻にある、次の場面です。
爰王忽失道、不知所出。時白狗自來、有導王之狀、隨狗而行之、得出美濃。
(『日本書紀』巻第七 景行天皇)
読みやすくしてみると、「すると日本武尊はたちまち道に迷い、出口が分からなくなった。そのとき白い犬が自分からやって来て、導くようなそぶりを見せた。その犬についていくと、美濃に出ることができた」。
日本書紀では信濃の山の中の話ですが、関東の山々では、この「道案内をした白い犬」が、地元の山の狼として語られるようになったのではないか、と考えられます。
くわしくは日本武尊の記事で紹介しています。
御眷属拝借:お犬様をお借りする
狼信仰でいちばん特徴的なのが、御眷属拝借(ごけんぞくはいしゃく)です。
三峯神社の公式サイトによると、お犬様を御神札として1年間お借りして、地域や家の守護を祈ります。
火難・盗難除け、さまざまな災難除けの霊験があるとされています。
寳登山神社の公式サイトでも、この神様を1年間借り上げて家や身を守ってもらい、翌年、新しく力の強いお犬様の神霊に借りかえる、と説明されています。
「買う」のではなく「お借りする」。
そして1年ごとに「借りかえる」。
お犬様の力は1年たつと弱まるので、新しく力の強いお犬様に来ていただく、という考え方なんですね。
お犬様にご飯を炊く「お炊き上げ祭」【伝承】
寳登山神社には、お犬様のための、とても珍しい神事があります。
公式サイトによると、「お炊き上げ祭」は創立の由緒にちなむ寳登山神社独特のお祭りで、忌火(いみび)でお米を炊いて、御眷属のお犬様にお供えします。
本社では毎月7日の早朝に白いご飯を炊いてお供えし、そのあと山頂の奥宮にもお供えするそうです。
境内の宝玉稲荷神社では、毎月15日にあずき飯を炊いてお供えしています。
毎月、お犬様にご飯を炊いてさし上げる。
神様のお使いへの、なんともあたたかい「おもてなし」ですね。
日光法印と狼【伝承】
三峯神社の公式サイトによると、享保5年(1720年)、日光法印という僧によって、「お犬様」と呼ばれる御眷属信仰が遠い地方まで広まりました。
それ以来、三峯山の名前は全国に知られるようになったそうです。
日光法印について、くわしいことが分かる資料は多くありません。
二次資料では、三峯神社の「社記」に、享保12年(1727年)9月13日の夜、日光法印が山上の庵室で静かに座っていると、どこからともなく狼が群れ集まって境内に満ちた、という話が伝わっていると紹介されています。
日光法印はこれを神のお告げと感じて、猪や鹿よけ、火難・盗難よけとして山犬のお札を貸し出したところ、霊験があった、とされています。
公式サイトの「享保5年」と、この話の「享保12年」とでは年が異なっていて、くわしいいきさつははっきりしていません。
講と代参:お犬様を迎えに山へ【伝承】
三峯神社の博物館の案内によると、お犬様は、山里では猪や鹿をよける力、町や村では火防・盗賊よけの力があると語られました。
信州・甲州、関東の村や町、そして江戸の町人たちが、お犬様の霊験を信じて「講(こう)」をつくり、山に登ってお参りしました。
村の人たちがお金を出し合い、代表者が山に登ってお札を受け、村に持ち帰る。
この仕組みについては、講と代参の記事でくわしく紹介しています。
姿を消したニホンオオカミ【史料】
国立科学博物館の展示データベースによると、ニホンオオカミは、1905年(明治38年)に奈良県で捕獲された例を最後に絶滅しました。
三峯神社の博物館には、ニホンオオカミの毛皮が展示されています(三峯神社 公式サイト)。
武蔵御嶽神社の公式サイトでは、「武州御嶽山の『おいぬ様』は、実はニホンオオカミです」と紹介され、御岳山では一昔前まで、狼と人が共存して暮らしていた、と説明されています。
古神道的な読み解き
山の神様のお使い
寳登山神社の公式サイトでは、大山祇神(おおやまづみのかみ)が、神犬の大口真神を御眷属としてつかわして人々を守ってくださる、と説明されています。
狼は、山の神様と人とのあいだをつなぐお使いだったんですね。
山の奥に住み、めったに姿を見せず、でも確かにそこにいる。
狼のそんなあり方は、目に見えない山の神様の気配そのものだったのかもしれません。
恐れと感謝
武蔵御嶽神社の公式サイトでは、狼は怖い存在でありながら、畑を荒らす害獣を食べてくれるありがたい存在でもあった、と説明されています。
恐ろしいものを遠ざけるだけでなく、敬い、力を貸していただく。
狼信仰は、日本の人々が自然とどう向き合ってきたかを、よく表しています。
まこも考察
ここからはまこもの考察です。
狼信仰を調べていて、僕がいちばん不思議に思ったのは、本物の狼がいなくなったあとも、信仰が少しも弱まっていないことです。
普通なら、狼がいなくなれば、「猪や鹿よけ」の役目もなくなりそうです。
でもお犬様は、火難除け、盗難除け、諸難除けと、役目を広げながら、今も毎年たくさんの家に「出張」しています。
それはきっと、人々が本当に頼りにしていたのが、狼という動物だけではなく、「山から来て、家を守ってくれる存在」だったからだと思います。
山には人の力の及ばないものがあり、その力を少しだけ分けていただく。
その感覚は、狼がいなくなっても、なくならなかったんです。
毎月ご飯を炊いてさし上げる寳登山神社のお炊き上げ祭を知ったとき、僕は、お犬様がこの山々の人たちにとって、今も「家族の一員」なのだと感じました。
ちなみにうちの近所の散歩中の犬たちは、僕を見ると必ず寄ってくるのですが、たぶん僕がいつもおやつの匂いをさせているからだと思います。
狼信仰が登場する作品・モデルになった作品
『万葉集』巻第八(1636番歌)
「大口の真神の原に降る雪は」と、狼の古い呼び名「真神」が詠まれています。
くわしくは大口真神の記事で紹介しています。
まとめ
- 秩父・奥多摩の三峯神社・武蔵御嶽神社・寳登山神社では、狼を「お犬様(大口真神)」としてお祀りしています。
- どの神社にも、日本武尊を狼(山犬)が助けたという伝承があり、そのもとには日本書紀の白い犬の道案内の話があると考えられます。
- お犬様のお札を1年間お借りする「御眷属拝借」が、今も続いています。
- 寳登山神社では、毎月お犬様にご飯を炊いて供える「お炊き上げ祭」が行われています。
- ニホンオオカミは1905年の捕獲例を最後に絶滅しましたが、お犬様の信仰は今も生きています。
姿を消した狼は、今もお札の中から、山々のふもとの家を守っています。
よくある質問(FAQ)
Q. お犬様とは何ですか?
A. 狼を神様のお使い(御眷属)として敬った呼び名で、大口真神という神名でお祀りされています。
Q. どの神社でお犬様をお祀りしていますか?
A. 三峯神社(秩父市)、武蔵御嶽神社(青梅市)、寳登山神社(長瀞町)などです。
Q. 御眷属拝借とは何ですか?
A. お犬様の御神札を1年間お借りして、家や地域を守っていただくものです。1年たったらお返しして、新しくお借りします。
Q. ニホンオオカミは今もいますか?
A. 国立科学博物館によると、1905年に奈良県で捕獲された例を最後に絶滅しました。
この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。
出典・参考文献
- 『日本書紀』巻第七(景行天皇)原文
- 三峯神社 公式サイト「御祭神・由緒」 https://www.mitsuminejinja.or.jp/saijin/
- 三峯神社 公式サイト「ご祈祷案内」 https://www.mitsuminejinja.or.jp/kitou/
- 三峯神社 公式サイト「三峰山博物館」 https://www.mitsuminejinja.or.jp/hakubutsukan/
- 武蔵御嶽神社 公式サイト「おいぬ様」 https://musashimitakejinja.jp/history/oinusama/
- 寳登山神社 公式サイト「寳登山神社の概要」 https://www.hodosan-jinja.or.jp/gaiyou/
- 寳登山神社 公式サイト「おまつり」 https://www.hodosan-jinja.or.jp/matsuri/
- 寳登山神社 公式サイト「ご参拝・ご祈願」 https://www.hodosan-jinja.or.jp/kigan/
- 国立科学博物館 常設展示データベース「ニホンオオカミ」 https://db.kahaku.go.jp/exh/detail?cls=col_z1_01&pkey=1747004
- ウィキペディア「三峯神社」(日光法印と社記の話)


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