素盞雄神社ってどんな神社?南千住のお天王さまと芭蕉の旅立ち

この記事は約11分で読めます。

この記事で分かること
素盞雄神社(すさのおじんじゃ)は、東京都荒川区南千住にある、「お天王さま」と親しまれる神社です。

光る石に神様が現れたという創建の伝え、御祭神の二柱の神様、迫力満点の天王祭、そして松尾芭蕉の「奥の細道」とのつながりまで、この神社の魅力を史料と伝承に分けてお話しします。

素盞雄神社を一言でいうと

平安時代のはじめ、延暦14年(795年)に創建されたと伝わる、南千住・三ノ輪・三河島・町屋の61か町を氏子区域とする神社です。

須佐之男命にあたる素盞雄大神(すさのおおおかみ)と、事代主神にあたる飛鳥大神(あすかおおかみ)をお祀りしています。

荒川区で最も広い地域を氏子に持ち、夏の天王祭では、町じゅうが神輿の掛け声に包まれます。
下町の暮らしのすぐそばで、1200年以上も人々を見守ってきた神社なんですよね。

基本情報

項目内容
名前素盞雄神社(すさのおじんじゃ)
通称お天王さま
所在地東京都荒川区南千住6-60-1
御祭神素盞雄大神(すさのおおおかみ)・飛鳥大神(あすかおおかみ)
創建延暦14年(795年)4月8日と伝えられる
開祖黒珍(こくちん)。修験道の開祖・役小角(えんのおづの)の高弟とされる
氏子区域南千住・三河島・町屋・三ノ輪など61か町
例大祭天王祭(6月)

※ 所在地・例大祭などは、2026年9月25日に素盞雄神社の公式サイトで確認しました。

御祭神と古事記・日本書紀【史料】

素盞雄大神=須佐之男命

主祭神の素盞雄大神は、古事記の須佐之男命(すさのおのみこと)、日本書紀の素戔嗚尊にあたる神様です。

伊邪那岐命の禊から生まれた三貴子の一柱で、高天原で暴れて追放されたあと、出雲で八岐大蛇を退治した英雄神です。
くわしくは須佐之男命の記事で紹介しています。

素盞雄神社の公式サイトでは、素盞雄大神の別名を牛頭天王(ごずてんのう)とし、そこから「お天王さま」と呼ばれるようになったと説明しています。
牛頭天王は、疫病を祓う神様として平安時代以降に広く信仰され、須佐之男命と同じ神様とされるようになりました。
京都の八坂神社(祇園社)や愛知の津島神社も、この天王信仰の神社です。
くわしくは牛頭天王の記事で紹介しています。

飛鳥大神=事代主神

もう一柱の飛鳥大神について、公式サイトは「大国主神の御子神で、別名を事代主神・一言主神という」と説明しています。

事代主神(ことしろぬしのかみ)は、古事記の国譲りの場面で、父の大国主命に代わって「この国を天つ神の御子に献上しましょう」と答えた神様です。
「事代(ことしろ)」は、神様の言葉(事)を代わりに伝えるという意味だと考えられています。
くわしくは事代主神の記事で紹介しています。

須佐之男命は大国主命の祖先にあたります。
つまりこの神社には、出雲の神話につながる「祖先と子孫」の神様が、一緒にお祀りされているんです。

由緒と歴史の変遷

光る石と二柱の翁【伝承】

公式サイトによると、神社の創建は次のように伝えられています。

延暦14年(795年)4月8日、修験道の開祖・役小角の高弟である黒珍(こくちん)がこの地にいたとき、小さな塚の中の奇岩が突然光を放ち、二柱の神様が翁(おきな、おじいさん)の姿で現れました。
黒珍はその御神託を受けて、神様をお祀りしたといいます。

この光を放った石は「瑞光石(ずいこうせき)」と呼ばれ、今も境内にお祀りされています。
近くの小学校の名前にも「瑞光」の名前が使われているそうです。

江戸時代の「飛鳥社小塚原天王宮」

江戸時代の名所案内『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』には、「飛鳥社小塚原天王宮(あすかのやしろこづかっぱらてんのうぐう)」として紹介されています。
二柱の神様のうち、飛鳥大神の「飛鳥社」と、素盞雄大神(牛頭天王)の「天王宮」の両方の名前で呼ばれていたことが分かります。

東京都神社庁の紹介によると、創建のときには、二柱の神様を「牛頭天王(ごずてんのう)・飛鳥権現(あすかごんげん)」と称してお祀りしたといいます。

また、瑞光石のある小高い塚から、このあたりの「小塚原(こづかっぱら)」という地名が起こったとされています【伝承】。

松尾芭蕉と奥の細道

元禄2年(1689年)、松尾芭蕉は江戸の深川から舟で隅田川をさかのぼり、千住で舟を下りて、『奥の細道』の旅に出発しました。
素盞雄神社は、その千住の地にあります。

『奥の細道』には、千住で舟を下りたときの思いが、こう書かれています。

千じゅと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ
(松尾芭蕉『奥の細道』)

読みやすくしてみると、「千住というところで舟を下りると、これから先の三千里もの長い旅路を思って胸がいっぱいになり、この世の分かれ道で、別れの涙を流した」。
そして、旅立ちの最初の句として詠まれたのが、「行く春や鳥啼き魚の目は泪」でした。

僕は近所のスーパーに行くだけでも「何を買うんだっけ」と胸がいっぱいになることがありますが、芭蕉の「前途三千里」とはさすがに重みが違います。

境内の見どころ

瑞光石と富士塚(小塚原富士)

創建のきっかけとなった瑞光石は、正式には「神影面瑞光荊石(しんえいめんずいこうけいせき)」と呼ばれています。

元治元年(1864年)、この瑞光石の塚は、富士山を信仰する浅間信仰にもとづいて富士塚に作られ、「小塚原富士(こづかっぱらふじ)」と呼ばれるようになりました。
頂上には浅間神社がお祀りされていて、荒川区の指定文化財になっています。

ふだんは登ることができませんが、毎年7月1日には山開きの神事が行われます。
富士塚の歴史については、富士塚の記事でくわしく紹介しています。

奥の細道 矢立初めの句碑

「行く春や鳥啼き魚の目は泪」の句を刻んだ句碑です。
「矢立初め(やたてはじめ)」とは、旅に出て最初に句を詠むことをいいます。

句碑は文政3年(1820年)10月12日に建てられ、荒川区の指定文化財になっています。
長い年月で文字が読みにくくなったため、平成7年に復刻されました。

子育ての銀杏

境内には「子育ての銀杏」と呼ばれる銀杏の木があります。
昔は、この樹皮を煎じて飲む療法が行われていたと伝えられ、今も初宮詣のときに絵馬が奉納されています【伝承】。

秋には大きな銀杏の木とあわせて、境内が黄金色の落ち葉に包まれます。

庚申塔・末社など

境内には、荒川区の指定文化財になっている庚申塔(こうしんとう)が三基あり、そのうち一基は延宝6年(1678年)に建てられたものです。
三猿と二羽の鶏が刻まれています。
庚申塔と庚申信仰については、庚申信仰の記事でくわしく紹介しています。

末社として、福徳稲荷神社・菅原神社・稲荷神社がお祀りされ、毎年2月の二の午の日には稲荷祭が行われています。

手水舎の水は、地下140メートルから汲み上げたものだそうです。

神事・例祭の意味

天王祭:鳳凰が地面につくほどの神輿振り

素盞雄神社の例大祭が、毎年6月に行われる「天王祭(てんのうさい)」です。

公式サイトは、天王祭を「夏の疫病流行時に、御祭神の神威をより一層振り起こして祓う、悪疫退散・除災招福・郷土繁栄を願う」お祭りと説明しています。

いちばんの見どころは、神輿の担ぎ方です。
ふつう神輿の担ぎ棒は4本や6本を組むことが多いのですが、素盞雄神社の神輿は、たった2本の担ぎ棒(二天棒)で担ぎます。
そして、屋根の上の鳳凰が地面につくほど、神輿を左右に大きく倒して激しく振るんです。
この担ぎ方は、荒川区の登録無形民俗文化財になっています。

3年に一度の「御神幸祭(本まつり)」では、重さ千貫、担ぎ棒の長さが四間半(約8.1メートル)の大神輿が、61か町を渡御します。
2026年は、この本まつりの年でした。

神輿を激しく振るのは、神様の力を「振り起こす」ためです。
荒々しい力を持つ須佐之男命、疫病を祓う牛頭天王らしいお祭りといえます。
担ぎ手のみなさんの迫力を見ていると、僕なら担いだ瞬間に、振る側ではなく振られる側になってしまいそうです。

桃まつりと桃の御守

素盞雄神社では、2月下旬から4月上旬まで「桃まつり」が行われ、たくさんの雛人形が飾られます。

創建の日にちなんで江戸時代から伝わるという「桃の御守」は、邪気を祓う霊木とされる桃の木で作られた、災厄除けの御守です【伝承】。
伊邪那岐命が黄泉の国から逃げるとき、桃の実を投げて追っ手を退けた古事記の話を思い出しますね。

そのほかの年中行事

初詣、節分祭、七五三詣、大祓(おおはらえ)などの行事が行われています。

古神道的な視点での読み解き

「石」に神様が現れる

素盞雄神社の創建は、「光を放った石に神様が現れた」ことから始まります。
大きな岩や石に神様が降りてくる、という考え方は、古神道の「磐座(いわくら)」信仰そのものです。

社殿を建てるよりずっと前から、人々は山や岩、大きな木に神様の気配を感じ、そこをお祀りしてきました。
瑞光石は、その古い信仰の形を今に伝えているといえます。

荒ぶる力と祓い

須佐之男命は、荒々しい力を持つ神様です。
その力は、ときに災いをもたらしますが、正しくお祀りすれば、疫病や災いを祓う力にもなると考えられてきました。

天王祭で神輿を激しく振るのは、まさにその「荒ぶる力」を振り起こして、町の災いを祓うためです。
古神道でいう「荒魂(あらみたま)」の力を、お祭りの中で生かしているんです。

まこも考察

ここからはまこもの考察です。

素盞雄神社を訪ねて、僕がいちばん心に残るのは、「旅立ち」と「守り」が同じ場所にあることです。

松尾芭蕉は、ここ千住から「前途三千里」の旅に出ました。
その芭蕉の句碑が、「お天王さま」の境内に立っています。

須佐之男命も、高天原を追われ、居場所を探して旅をした神様でした。
そして出雲で居場所を見つけ、家族を守るために「八重垣」を作る。

旅立つ人を見送り、町に残る人を守る。
千住という、江戸から奥州・日光へ向かう街道の最初の宿場にある神社だからこそ、「旅立ち」と「守り」の両方が、この境内に重なっているのではないでしょうか。
新しい一歩を踏み出す前に、ここでお天王さまにご挨拶していく。
そんな参拝の仕方も、この神社にはよく似合う気がします。

伝承・関連する話

【伝承】茅の輪と蘇民将来

須佐之男命(牛頭天王)をお祀りする神社では、夏の大祓の時期に茅の輪(ちのわ)をくぐる習わしが多く見られます。
これは、須佐之男命(武塔神)が、自分をもてなしてくれた蘇民将来に「茅の輪をつければ疫病から逃れられる」と教えた、という備後国風土記の逸文の話がもとになっているとされます。
くわしくは須佐之男命の記事で紹介しています。

【伝承】千住大橋と瑞光石の根

江戸時代の案内書『江戸近郊道しるべ』には、千住大橋を架けるとき、瑞光石の根が荒川(今の隅田川)まで延びていたため、橋脚を打ち込むことができなかった、という伝承が紹介されています。
東京都神社庁の「ご社宝めぐり」でも、この話が紹介されています。

地面の上に見えているのは石のほんの一部で、その根は川の底まで続いている。
神様が宿る石が、見えないところで大地としっかりつながっている、という感覚がよく表れた伝承です。

周辺が登場する創作作品

公式の情報で確認できた作品がなかったため、ここでは紹介を控えます。

参拝の作法・アクセス・御朱印

※ 以下の情報は、2026年9月25日に素盞雄神社の公式サイトなどで確認したものです。変更されることがあるので、お出かけの前に公式サイトで最新の情報を確認してください。

参拝の作法

一般的な神社と同じく、「二拝二拍手一拝」でお参りします。

1. 鳥居の前で一礼してから境内に入る
2. 手水舎で手と口を清める
3. 神前で、お賽銭を納め、鈴を鳴らす
4. 二回深くお辞儀(二拝)
5. 胸の高さで二回手を打つ(二拍手)
6. 最後にもう一度深くお辞儀(一拝)

アクセス

  • 東京メトロ日比谷線・JR常磐線・つくばエクスプレス「南千住駅」から徒歩約8分
  • 京成本線「千住大橋駅」から徒歩約8分
素盞雄神社の地図(Googleマップ)

御朱印

  • 授与場所:社務所
  • 授与時間:9:00〜18:00
  • 初穂料:500円

※ 御朱印の授与時間・初穂料は、御朱印紹介サイトの情報をもとにしています。お祭りの時期などは変わることがあります。

お問い合わせ

まとめ

  • 素盞雄神社は、延暦14年(795年)に、光を放った瑞光石に二柱の神様が翁の姿で現れたことから始まったと伝わる、南千住の神社です。
  • 御祭神は、須佐之男命にあたる素盞雄大神と、事代主神にあたる飛鳥大神。牛頭天王と同一視され、「お天王さま」と呼ばれています。
  • 6月の天王祭では、2本の担ぎ棒の神輿を、鳳凰が地面につくほど激しく振ります。
  • 境内には、瑞光石の富士塚や、松尾芭蕉の奥の細道「矢立初め」の句碑など、文化財がたくさんあります。
  • 千住は、芭蕉が奥の細道へ旅立った地。旅立ちと守りが重なる神社です。

光る石から始まった神社が、1200年以上たった今も、町の人たちとお祭りで結ばれている。
素盞雄神社は、東京の下町で、古い信仰の形にふれられる大切な場所なんですよね。

よくある質問(FAQ)

Q. 「素盞雄神社」は何と読むのですか?
A. 「すさのおじんじゃ」と読みます。御祭神の素盞雄大神(すさのおおおかみ)の名前から来ています。

Q. なぜ「お天王さま」と呼ばれているのですか?
A. 御祭神の素盞雄大神が、疫病を祓う神様・牛頭天王と同じ神様とされてきたためです。天王祭の名前も、ここから来ています。

Q. 天王祭の本まつりは、いつ行われますか?
A. 天王祭は毎年6月に行われ、3年に一度が「御神幸祭(本まつり)」です。2026年が本まつりの年でした。日程は年によって変わるので、公式サイトで確認してください。

Q. 富士塚には登れますか?
A. ふだんは登ることができません。毎年7月1日の山開きのときに、お参りすることができます。

この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。

出典・参考文献

コメント

タイトルとURLをコピーしました