
この記事で分かること
日本武尊(やまとたけるのみこと)は、古事記・日本書紀に登場する、日本でいちばん有名な英雄の一人です。
西へ東へ戦い続け、最後は故郷を想いながら、白鳥となって空へ飛び去りました。
「タケル」という名前の意外な由来、草薙剣の名前のはじまり、そして秩父の三峯神社との関わりまで、古事記と日本書紀の原文を見ながらお話しします。
日本武尊を一言でいうと
父の命で国じゅうを戦い抜き、故郷に帰れないまま白鳥になった、悲劇の英雄です。
強くて勇ましいだけの英雄ではありません。
父に疎まれていると涙を流し、亡くした妻を想って嘆き、最後は故郷をしのぶ歌を詠む。
とても人間らしい心を持った英雄なんです。
名前の意味を見てみよう
古事記では「倭建命(やまとたけるのみこと)」、日本書紀では「日本武尊」と書きます。
もとの名前は「小碓命(おうすのみこと)」、またの名を「倭男具那(やまとおぐな)」といいました。
- やまと:大和の国、日本
- たける:勇猛な者。強い男
「おぐな」は少年という意味で、「倭男具那」は「大和の少年」といった意味になります。
実は「タケル」という名前は、倒した敵から贈られたものでした。
そのお話は、このあと古事記の場面で紹介しますね。
日本武尊のプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 読み | やまとたけるのみこと |
| 表記 | 倭建命(古事記)/日本武尊(日本書紀) |
| もとの名前 | 小碓命(おうすのみこと)、倭男具那(やまとおぐな) |
| 父 | 景行天皇(第12代天皇) |
| 叔母 | 倭比売命(やまとひめのみこと)。伊勢の神宮に仕える |
| 妻 | 弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)、美夜受比売(みやずひめ)など |
| 子孫 | 仲哀天皇(第14代天皇)は日本武尊の子 |
| ゆかりの剣 | 草那芸剣(草薙剣) |
| 最期 | 能煩野(のぼの)で亡くなり、白鳥になって飛び去った |
どの文献に出てくる?
古事記【史料】
「タケル」の名を贈られる
小碓命は、父・景行天皇の命を受けて、西の方の熊曾建(くまそたける)兄弟を討ちに向かいます。
叔母の倭比売命からもらった衣装を着て、髪を少女のように垂らし、女の人たちにまぎれて熊曾建の宴に入り込みました。
そして宴がたけなわになったところで、剣を抜いて熊曾建を討ちます。
弟の熊曾建は、息たえる前にこう言いました。
於西方、除吾二人無建強人。然於大倭國、益吾二人而、建男者坐祁理。是以、吾獻御名。自今以後、應稱倭建御子。
(『古事記』中巻・景行天皇記)
読みやすくしてみると、「西の方には、私たち二人より強い者はいなかった。でも大倭の国には、私たちよりも強い男がいらっしゃった。だから私が名前をさし上げましょう。これからは『倭建御子(やまとたけるのみこ)』とお呼びしましょう」。
古事記は、「その時から御名をたたえて、倭建命という」と書いています。
倒した敵から名前を贈られる。
敵にさえ認められた強さの証だったんですね。
父に疎まれて
西から戻るとすぐ、天皇は今度は東の方の荒ぶる神々と従わない人々を平らげるよう命じます。
倭建命は、伊勢の神宮で叔母の倭比売命にこう打ち明けました。
「天皇は、私に死ねと思っていらっしゃるのでしょうか。西の悪い者たちを討って戻ってきてまもないのに、兵も与えずに、今度は東の十二の国の悪い者たちを平らげに行けとおっしゃる。やはり私が死ねばよいと思っていらっしゃるのです」。
泣きながら出発しようとする倭建命に、倭比売命は草那芸剣(くさなぎのつるぎ)と袋を授けて、「もし急なことがあったら、この袋の口を解きなさい」と言いました。
焼津
相武国(さがむのくに)で、国造にだまされて野に入ると、火をつけられてしまいます。
倭建命が袋を開けると、中には火打石が入っていました。
剣で草を刈り払い、火打石で向かい火をつけて火を退けた倭建命は、国造たちを討ちました。
それで今もその地を「焼津(やいづ)」という、と古事記は伝えています。
走水と弟橘比売命
走水の海を渡ろうとしたとき、海の神様が波を起こし、船が進めなくなりました。
すると后の弟橘比売命が「私が御子の代わりに海に入りましょう。御子は、遣わされた務めを果たして、天皇にご報告なさってください」と言い、畳を波の上に敷いて、その上に降りていきました。
すると荒波はしずまり、船は進むことができました。
七日後、后の櫛が海辺に流れ着いたので、その櫛を納めて御陵を作った、と古事記は書いています。
吾妻はや
東の国々を平らげた帰り道、足柄の坂のふもとで、坂の神様が白い鹿の姿で現れます。
倭建命は食べ残しの蒜(ひる)でその目を打って倒しました。
そして坂の上に立ち、三度ため息をついて言いました。
阿豆麻波夜。
「あづまはや」。
「わが妻よ、ああ」という嘆きです。
古事記は、それでその国を「あづま」と呼ぶのだ、と書いています。
東の国を「あづま」と呼ぶのは、この嘆きから来ている、というわけです。
伊吹山と最期
尾張で美夜受比売と結ばれた倭建命は、草那芸剣を美夜受比売のもとに置いたまま、伊吹山の神様を素手で討ちに向かいます。
美夜受比売(宮簀媛命)については、宮簀媛命の記事で紹介しています。
ところが、山で出会った牛ほどもある白い猪を「神様のお使いだろう」と見くびったところ、それは神様そのものでした。
大粒の雹(ひょう)に打たれて、倭建命は体をこわしてしまいます。
弱った体で歩き続け、能煩野(のぼの)に着いたとき、故郷をしのんで歌いました。
夜麻登波久爾能麻本呂婆多多那豆久阿袁加岐夜麻碁母禮流夜麻登志宇流波斯
「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし」。
大和は国の中でいちばんすばらしいところ。重なり合う青い垣根のような山々にかこまれた大和は、本当に美しい。
そして倭建命は亡くなり、その魂は大きな白い鳥(八尋白智鳥)となって、空へ飛び立っていきました。
后や御子たちは、足が竹の切り株で傷つくのも忘れて、泣きながらその白鳥を追いかけたといいます。
日本書紀【史料】
日本書紀の景行天皇の巻にも、日本武尊の物語がくわしく書かれています。
古事記とくらべると、ちがうところもたくさんあります。
草薙剣の名前のはじまり
日本書紀では、駿河で野に火を放たれたとき、「一説には」として、日本武尊が腰の剣「藂雲(むらくも)」を抜いて、まわりの草を薙ぎ払って助かったので、その剣を「草薙(くさなぎ)」と名づけた、という話が紹介されています。
碓日坂の「吾嬬はや」
日本書紀では、「あづまはや」の場面は足柄ではなく、碓日坂(うすひのさか)、今の碓氷峠のあたりです。
則自甲斐北、轉歷武藏・上野、西逮于碓日坂。時日本武尊、毎有顧弟橘媛之情、故登碓日嶺而東南望之三歎曰「吾嬬者耶」。
読みやすくしてみると、「甲斐から北へ、武蔵・上野をめぐって、西の碓日坂に着いた。日本武尊は、いつも弟橘媛のことを想っていたので、碓日の嶺に登って東南を望み、三度ため息をついて『わが妻よ、ああ』と言った」。
甲斐から武蔵・上野を経て碓日坂へ。
三峯神社の由緒で、日本武尊が三峯山に登ったとされるのも、ちょうどこの道の途中です。
白い犬に導かれる
日本書紀には、もう一つ、三峯神社とつながる大事な場面があります。
信濃の山の中で、山の神様が白い鹿となって現れ、日本武尊が蒜でその目を打って倒すと、たちまち道に迷ってしまいます。
爰王忽失道、不知所出。時白狗自來、有導王之狀、隨狗而行之、得出美濃。
「すると日本武尊はたちまち道に迷い、出口が分からなくなった。そのとき白い犬が自分からやって来て、日本武尊を導くようなそぶりを見せたので、その犬についていくと、美濃に出ることができた」。
山で道に迷った日本武尊を、白い犬が導いた。
三峯神社や武蔵御嶽神社に伝わる「狼が日本武尊を道案内した」という伝承と、とてもよく似ていますね。
古史古伝での扱い
古史古伝での日本武尊の扱いについては、内容を確かめられる資料が見つからなかったため、この記事では紹介を控えます。
御神徳(ご利益)
日本武尊は、数々の困難を乗りこえた英雄として、勝運や開運、厄除けなどを願う人がお参りする神様です。
東国の各地には、日本武尊にゆかりがあると伝える神社がたくさんあります。
祀る主な神社
- 熱田神宮(愛知県名古屋市):日本武尊ゆかりの草薙剣をお祀りする
- 大鳥大社(大阪府堺市):日本武尊をお祀りする和泉国一之宮
- 三峯神社(埼玉県秩父市):日本武尊が伊弉諾尊・伊弉册尊をお祀りしたのが始まりと伝える
- 武蔵御嶽神社(東京都青梅市):日本武尊を導いた白狼の伝承が残る。摂社に男具那社がある
古神道的な読み解き
英雄の「荒ぶる力」
日本武尊は、とても強い一方で、兄を手荒に扱ったり、伊吹山の神様を見くびったりもします。
その荒々しさは、父の景行天皇に恐れられるほどでした。
強すぎる力は、敵だけでなく自分にも返ってくる。
伊吹山の場面は、神様をあなどってはいけない、という戒めとしても読めます。
白鳥になった魂
白鳥の場面は、白鳥伝説の記事でくわしく紹介しています。
日本武尊の魂が白鳥となって飛び去るのは、古代の人々が、鳥を魂を運ぶものと考えていたことと関わるとする説があります。
亡くなった人の魂は、鳥になって空へ、あるいは故郷へと帰っていく。
故郷の大和を想いながら亡くなった日本武尊が、白鳥になって飛んでいったのは、とても自然なことだったのかもしれません。
まこも考察
ここからはまこもの考察です。
日本武尊の物語を読んでいると、僕はいつも、この英雄がずっと「迷子」だったような気がしてきます。
父に認めてもらいたくて戦ったのに、戻ればすぐまた遠くへ送り出される。
「天皇は私に死ねと思っていらっしゃるのか」と泣く場面は、英雄というより、居場所を探す一人の若者の姿です。
そんな日本武尊を、何度も助けてくれた存在がいました。
倭比売命がくれた剣と袋。
身代わりになってくれた弟橘比売命。
そして、山で道に迷ったときに現れた白い犬。
三峯神社の由緒では、その白い犬が狼として語られ、今も「お犬様」としてお祀りされています。
迷い続けた英雄を導いた存在が、千数百年たった今も、たくさんの人の家を守っている。
日本武尊の物語は、強さの物語であると同時に、「誰かに導かれ、助けられた」物語でもあるのだと思います。
ちなみに僕も方向音痴で、知らない山道ではすぐ迷うので、白い犬がいつ現れてもいいように心の準備だけはしています。
他の神様とのつながり
- 倭比売命:叔母。伊勢の神宮に仕え、草那芸剣と袋を授けた
- 弟橘比売命:后。走水の海に身を投じて、日本武尊を救った
- 大口真神(お犬様):日本武尊を道案内した狼が神様になったと伝えられる
- 伊弉諾尊・伊弉册尊:日本武尊が三峯山でお祀りしたと伝えられる二神
- 草薙剣:倭比売命から授かり、焼津で日本武尊を救った剣
- 須佐之男命:草薙剣(天叢雲剣)を八岐大蛇の尾から見つけた神様
伝承・関連する話
【伝承】三峯神社の創祀
三峯神社の縁起によると、日本武尊は東国平定の途中で三峯山に登り、山や川の清らかで美しい様子をご覧になって、伊弉諾尊・伊弉册尊をお祀りしたと伝えられています。
そのとき道案内をしたのが狼で、神様のお使いとして一緒にお祀りされています。
【伝承】武蔵御嶽神社の白狼
東京都青梅市の武蔵御嶽神社の公式サイトによると、日本武尊が東征のとき御岳山から西北へ進もうとすると、深山の邪神が大きな白鹿となって道をふさぎました。
山蒜で白鹿を退治したものの、雲や霧が立ちこめて道に迷ってしまいます。
そこへ白狼が現れて、日本武尊の軍を西北へ導きました。
日本武尊は白狼に「大口真神としてこの御岳山に留まり、すべての魔物を退治せよ」と言ったと伝えられています。
日本武尊が登場する作品・モデルになった作品
手塚治虫『火の鳥 ヤマト編』(漫画)
ヤマトの国の王子「ヤマト・オグナ」が主人公の物語で、日本武尊の熊襲征伐の伝説がもとになっています。
どんな結末になるのかは、ネタバレになるので伏せておきますね。
スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』(舞台)
哲学者の梅原猛が脚本を書き、三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)が主演して、1986年に初演されました。
宙乗りなどの演出で知られる舞台です。
映画『ヤマトタケル』(1994年、東宝)
日本武尊の神話をもとにした特撮映画です。
まとめ
- 日本武尊は、景行天皇の御子で、もとの名は小碓命です。
- 西の熊曾建を討ったとき、敵から「タケル」の名を贈られました。
- 叔母・倭比売命から草那芸剣と袋を授かり、焼津で火の難を切り抜けました。
- 走水で身代わりになった弟橘比売命を想って「吾妻はや」と嘆き、これが「あづま」の名の由来とされています。
- 伊吹山の神様に打たれて弱り、「倭は国のまほろば」と歌って亡くなり、白鳥となって飛び去りました。
- 日本書紀には、山で道に迷ったとき白い犬に導かれた話があり、三峯神社の狼の伝承ともつながります。
強く、荒々しく、そしてとても人間らしかった英雄。
日本武尊の物語が千年以上も語り継がれてきたのは、その強さよりも、その涙のほうに、人々が心を寄せてきたからなのかもしれません。
よくある質問(FAQ)
Q. 日本武尊と倭建命は同じ人物ですか?
A. はい。古事記では「倭建命」、日本書紀では「日本武尊」と書かれています。もとの名前は小碓命です。
Q. 「タケル」という名前はどうしてついたのですか?
A. 古事記によると、討たれた熊曾建が「あなたより強い者はいない」と言って、「倭建御子」の名を贈ったのが始まりです。
Q. 「あづま」という言葉は日本武尊と関係がありますか?
A. 古事記では足柄の坂で、日本書紀では碓日坂で、日本武尊が亡き妻を想って「あづまはや(わが妻よ、ああ)」と嘆いたことから、東の国を「あづま」と呼ぶようになったとされています。
Q. 三峯神社と日本武尊の関係は?
A. 三峯神社の縁起によると、日本武尊が三峯山に登って伊弉諾尊・伊弉册尊をお祀りしたのが始まりで、そのとき道案内をした狼がお使いとしてお祀りされています。
この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。
出典・参考文献
- 『古事記』中巻(景行天皇記・倭建命)原文
- 『日本書紀』巻第七(景行天皇)原文
- 三峯神社 公式サイト「御祭神・由緒」 https://www.mitsuminejinja.or.jp/saijin/
- 武蔵御嶽神社 公式サイト「おいぬ様」 https://musashimitakejinja.jp/history/oinusama/


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