宮簀媛命ってどんな神様?日本武尊の妃となり、草薙剣をお祀りした熱田神宮の始まりの姫

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夜の桑の木にかけられ光り輝く剣を、胸の前で手を組んで見上げる宮簀媛命のイメージイラスト
宮簀媛命のイメージイラストです

この記事で分かること
宮簀媛命(みやすひめのみこと)は、日本武尊の妃となった尾張の姫です。

日本武尊が置いていった草薙剣をお祀りしたことが、名古屋の熱田神宮の始まりと伝えられています。
古事記・日本書紀・風土記に描かれた姿と、今も宮簀媛命をお祀りする神社を、史料と伝承に分けてお話しします。

宮簀媛命を一言でいうと

日本武尊が帰ってくるのを待ちながら、預けられた草薙剣を守り続けた姫です。

熱田神宮では、相殿神(あいどのしん)の一柱としてお祀りされています。
剣の物語の「その後」を引き受けた、静かで強い女性なんです。

名前の意味を見てみよう

古事記では「美夜受比売(みやずひめ)」、日本書紀では「宮簀媛(みやすひめ)」と書かれます。

  • みや(宮):神様をお祀りする宮、または立派な御殿
  • す(簀・受):すだれのように編んだもの、と読む説がありますが、はっきりしたことは分かっていません
  • ひめ(比売・媛):女性への敬称

「宮にお仕えする姫」という意味ではないか、という見方もありますが、名前の由来ははっきりしていません。
ただ、のちに剣をお祀りする役目を担ったことを思うと、なんだか名前と生き方が重なって見えますね。

宮簀媛命のプロフィール

項目内容
読みみやすひめのみこと
表記美夜受比売(古事記)、宮簀媛(日本書紀)、宮酢媛(尾張国風土記逸文)
出身尾張氏(尾張の豪族)
家族兄:建稲種命(尾張氏の系譜による)
夫日本武尊(倭建命)
祀る主な神社熱田神宮(相殿神)、氷上姉子神社

どの文献に出てくる?

古事記:約束と歌のやりとり【史料】

古事記では、倭建命は東へ向かう途中、尾張国造の祖である美夜受比売の家に立ち寄り、結婚を約束します。
そして東の国々を平らげたあと、約束どおり尾張に戻ってきます。

再会のとき、二人は歌を交わします。
倭建命が、美夜受比売の衣のすそに月のものが見えたことを歌にすると、美夜受比売は「高光る日の御子(たかひかる ひのみこ)」と呼びかけて、待ち続けた月日の長さを歌で返しました。

古代の歌らしい、とても率直で、それでいて相手を思いやるやりとりです。

そして倭建命は、剣を美夜受比売のもとに置いて、伊吹山へ向かいます。

其御刀之草那藝劒、置其美夜受比賣之許而、取伊服岐能山之神幸行。

読みやすくしてみると、「その御刀の草那芸剣を、美夜受比売のもとに置いて、伊服岐(いぶき)の山の神を討ちに出かけた」。

倭建命は伊吹山の神の祟りで病になり、そのまま亡くなってしまいます。
亡くなる前、倭建命は美夜受比売のもとに残してきた剣を思って、こんな歌を詠みました。

嬢子の 床の辺に 我が置きし つるぎの大刀 その大刀はや

「あの乙女の床のそばに、私が置いてきた剣の大刀。ああ、その大刀よ」。
これが、倭建命の最後の歌です。

日本書紀:尾張氏の娘【史料】

日本書紀の景行天皇40年の条では、こう書かれています。

日本武尊更還於尾張、即娶尾張氏之女宮簀媛、而淹留踰月。於是、聞近江五十葺山有荒神、即解劒置於宮簀媛家、而徒行之。

読みやすくしてみると、「日本武尊はふたたび尾張に戻り、尾張氏の娘・宮簀媛を妻として、ひと月あまり滞在した。そこで近江の五十葺山(いぶきやま)に荒ぶる神がいると聞き、剣をはずして宮簀媛の家に置き、歩いて出かけた」。

古事記とほとんど同じ流れですが、日本書紀でははっきり「尾張氏の女(むすめ)」と書かれています。

尾張国風土記逸文:桑の木にかけた剣【伝承】

鎌倉時代の『釈日本紀』に引用されて残った『尾張国風土記』の逸文には、熱田社の始まりについて、こんな話が伝わっています。

日本武命が宮酢媛(みやすひめ)の家に泊まったとき、夜に厠へ行こうとして、剣を桑の木にかけたまま忘れてしまいました。
取りに戻ると、剣は神々しく光り輝いていて、手に取ることができませんでした。
そこで日本武命は宮酢媛に、「この剣を神として祀り、わが形見としなさい」と告げた、といいます。

光る剣、という場面がとても印象的ですよね。

古史古伝での扱い

古史古伝での宮簀媛命の扱いについては、内容を確かめられる資料が見つからなかったため、この記事では紹介を控えます。

熱田神宮の始まり

熱田神宮の公式サイトによると、日本武尊は神剣を今の名古屋市緑区大高町の火上山(ひかみやま)に留め置いたまま、三重県亀山市の能褒野で亡くなりました。

妃の宮簀媛命が、その神剣を熱田の地にお祀りしたのが、熱田神宮の始まりです。
公式サイトの年表では、景行天皇43年(113年)のこととされています。

くわしくは熱田神宮の記事で紹介しています。

御神徳(ご利益)

宮簀媛命を主祭神とする氷上姉子神社や、相殿神としてお祀りする熱田神宮には、縁結びや家内安全、夫婦円満などを願って参拝する人がいます。
大切な人を待ち、預かったものを守り続けた姿から、そうした願いが寄せられるのかもしれません。

祀る主な神社

熱田神宮(愛知県名古屋市熱田区)

熱田大神とともに、相殿神の一柱としてお祀りされています。
相殿神は、天照大神・素盞嗚尊・日本武尊・宮簀媛命・建稲種命の五柱です。

氷上姉子神社(愛知県名古屋市緑区大高町)

熱田神宮の公式サイトによると、氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)は宮簀媛命をお祀りする熱田神宮の摂社で、仲哀天皇の時代に創祀され、持統天皇4年(690年)に今の場所へ遷ったとされています。

名古屋市の観光サイトでは、草薙神剣は熱田神宮にお祀りされる前、この火上(のちに氷上)の里でお祀りされていた、と紹介されています。
地元では「お氷上さん」と呼ばれて親しまれています。

古神道的な読み解き

剣を「祀る」人

草薙剣の物語には、剣を「見つける」須佐之男命、剣を「使う」日本武尊が登場します。
そして宮簀媛命は、剣を「祀る」人です。

戦いの道具だった剣が、宮簀媛命の手によって、神様が宿るものへと変わっていきました。
武の力を、祈りの力へと受け渡した存在、と言えるかもしれません。

尾張氏と熱田

宮簀媛命は尾張氏の姫です。
熱田神宮の摂社・上知我麻神社には、尾張国造の乎止與命(おとよのみこと)がお祀りされています。

熱田神宮は、天皇家に伝わる神器をお祀りするお宮であると同時に、尾張の人々が自分たちの祖先とともに大切にしてきたお宮でもあるんです。

まこも考察

ここからはまこもの考察です。

宮簀媛命の物語を読んでいて、僕がいちばん心をひかれたのは、倭建命の最後の歌です。

「嬢子の床の辺に我が置きしつるぎの大刀」。

死を前にした英雄が最後に思い出したのは、戦の勝利でも、故郷の景色でもなく、一人の女性のもとに置いてきた剣でした。
その剣は、きっと宮簀媛命そのものと重なっていたのだと思います。

そして宮簀媛命は、二度と戻らない夫の剣を、神様としてお祀りし続けました。
置いていかれた側の悲しみを、祈りに変えて守り続けた。
千九百年後の今も熱田神宮がそこにあるのは、そのひとりの女性の「待つ力」から始まっているのかもしれません。

ちなみに僕は、人を待つのが5分を過ぎるとスマホを見始めてしまうので、宮簀媛命の待つ力には到底かないません。

他の神様とのつながり

  • 日本武尊:夫。草薙剣を宮簀媛命のもとに置いて伊吹山へ向かった
  • 建稲種命:兄。日本武尊の東征に従った
  • 弟橘比売命:日本武尊の后。走水の海に身を投じた
  • 倭比売命:日本武尊に草薙剣を授けた叔母
  • 天照大御神:熱田大神として、草薙神剣を御霊代にお祀りされる

草薙剣そのものについては、草薙剣の記事で紹介しています。

伝承・関連する話

【伝承】火上山と「氷上」の名前

氷上姉子神社のある場所は、もとは「火上(ひかみ)」と書かれ、のちに「氷上」と改められたと紹介されています。
「火」から「氷」へ。
火事を避ける願いが込められたのではないか、とも言われますが、その理由は明らかではありません。

宮簀媛命が登場する作品

公式の情報で確認できた作品がなかったため、ここでは紹介を控えます。

宮簀媛命をお祀りする神社は氷上姉子神社の記事、尾張氏については乎止與命の記事・天火明命の記事でも紹介しています。

まとめ

  • 宮簀媛命は、尾張氏の姫で、日本武尊の妃です。古事記では「美夜受比売」と書かれます。
  • 日本武尊は草薙剣を宮簀媛命のもとに置いて伊吹山へ向かい、帰らぬ人となりました。
  • 宮簀媛命が残された剣をお祀りしたことが、熱田神宮の始まりと伝えられています。
  • 熱田神宮の相殿神の一柱で、摂社の氷上姉子神社の御祭神です。
  • 『尾張国風土記』の逸文には、桑の木にかけた剣が光り輝いたという話が伝わっています。

剣を使う英雄の物語のうしろで、剣を守り、祀り続けた一人の姫。
宮簀媛命は、熱田神宮の千九百年の歴史の、いちばん最初のページにいる神様です。

よくある質問(FAQ)

Q. 宮簀媛命と美夜受比売は同じ神様ですか?
A. 同じ方です。古事記では美夜受比売、日本書紀では宮簀媛と書かれます。

Q. 宮簀媛命はどこにお祀りされていますか?
A. 熱田神宮(名古屋市熱田区)の相殿神、そして摂社の氷上姉子神社(名古屋市緑区)の御祭神としてお祀りされています。

Q. なぜ日本武尊は剣を置いていったのですか?
A. 古事記・日本書紀には理由が書かれていません。剣を置いて伊吹山の神を討ちに行ったことが、日本武尊の死につながったと語られています。

この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。

出典・参考文献

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