鹿島神宮ってどんな神社?武甕槌大神と要石・鹿島七不思議

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この記事で分かること
鹿島神宮(かしまじんぐう)は、茨城県鹿嶋市にある、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)をお祀りする神社です。

国譲りの神様が鎮まる由緒、地震を起こす鯰を押さえるという要石、鹿島七不思議、日本最大の古代の直刀、そして防人たちが旅立った「鹿島立ち」まで、この神社の魅力を史料と伝承に分けてお話しします。

鹿島神宮を一言でいうと

国譲りを成しとげた武の神様・武甕槌大神をお祀りする、常陸国(ひたちのくに)の一宮です。

平安時代の『延喜式』で「神宮」と書かれているのは、伊勢の神宮と、この鹿島神宮、そして千葉県の香取神宮の三社だけでした。
それほど古くから、特別な神社として大切にされてきたんです。

深い森に包まれた広い境内には、要石や御手洗池など、不思議な伝承を持つ場所がたくさんあります。
関東でも屈指の古社、そして武道の神様の社として、今も多くの人がお参りしています。

基本情報

項目内容
名前鹿島神宮(かしまじんぐう)
所在地茨城県鹿嶋市宮中2306-1
御祭神武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)
創建神武天皇元年と伝えられる(公式サイトより)
社格常陸国一宮。『延喜式』で「神宮」と記される三社の一つ
主な祭り祭頭祭(3月)、例祭(9月1日)、式年大祭御船祭(12年に一度、午年)
文化財本殿・拝殿など(重要文化財)、楼門(重要文化財)、直刀・黒漆平文大刀拵(国宝)

※ 所在地・御祭神などは、2026年9月25日に鹿島神宮の公式サイトで確認しました。

御祭神と古事記・日本書紀【史料】

武甕槌大神=建御雷神

御祭神の武甕槌大神は、古事記では建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)、建御雷神と書かれる神様です。

古事記では、伊邪那岐命が火の神・迦具土神を斬ったとき、剣の根元についた血から生まれた神様とされています。
くわしくは、伊邪那岐命の記事でも紹介しています。

建御雷神がどんな神様なのかは、建御雷神の記事でくわしく紹介しています。

国譲りの神様

武甕槌大神がいちばん活躍するのが、国譲りの場面です。

古事記では、天照大御神の命を受けた建御雷神が、出雲の伊那佐(いなさ)の浜に降り、十掬剣(とつかのつるぎ)を波の上に逆さに刺して、その剣先にあぐらをかいて座り、大国主命に「この国を天つ神の御子に譲るか」と問いました。
大国主命の子・事代主神は国を譲ることを受け入れ、もう一柱の子・建御名方神(たけみなかたのかみ)との力比べにも勝って、国譲りを成しとげます。

鹿島神宮の公式サイトも、武甕槌大神は天照大御神の命を受け、香取神宮の御祭神・経津主大神(ふつぬしのおおかみ)と共に出雲に降り、大国主命と話し合って国譲りを成しとげた、と説明しています。

神武天皇を救った神剣

古事記・日本書紀には、初代の神武天皇が熊野で危機に陥ったとき、武甕槌神が自分の剣を地上に降ろし、その剣の力で天皇が救われた、という話があります。
この剣が「布都御魂(ふつのみたま)」「韴霊(ふつのみたま)」です。

鹿島神宮の公式サイトによると、神武天皇は、この大神の恩に感謝して、即位の年に鹿島の地に大神をお祀りしたと伝えられています。

由緒と歴史の変遷

「神宮」と呼ばれた三社

平安時代の延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の神名帳で、「神宮」と記されているのは、伊勢の大神宮(皇大神宮)、鹿島神宮、香取神宮の三社だけです。
鹿島神宮が、朝廷からいかに重んじられていたかがよく分かります。

常陸国の一宮

鹿島神宮は、常陸国(今の茨城県の大部分)でいちばん格の高い神社「一宮」とされてきました。
奈良時代の『常陸国風土記』にも、香島(かしま)の地の神様についての記述が残っています。くわしくは常陸国風土記の香島郡の記事で紹介しています。

春日大社の神様は鹿島から

奈良の春日大社の社伝によると、奈良時代のはじめ、鹿島神宮から武甕槌命をお迎えし、神護景雲2年(768年)に社殿が造られたのが、春日大社の始まりとされています。
このとき武甕槌命は、白い鹿に乗って鹿島からやってきたと伝えられ、それが奈良の鹿が「神の使い」として大切にされている由来とされています【伝承】。

奈良公園の鹿のルーツが、実は茨城の鹿島にある。
そう思って奈良の鹿を見ると、少し親近感がわいてきませんか。

徳川家と社殿

今の本殿・石の間・幣殿・拝殿は、元和5年(1619年)に徳川2代将軍の秀忠が寄進したもので、国の重要文化財です。
奥宮は、慶長10年(1605年)に徳川家康が関ヶ原の戦いに勝ったお礼として、本殿として奉納したものを、14年後の新しい社殿の造営にあわせて今の場所に移したものです。
楼門は、寛永11年(1634年)に水戸徳川家の初代藩主・頼房が奉納しました。

武の神様として、戦国時代から江戸時代にかけて、武家から特に厚く崇敬されてきたんです。

境内の見どころ

楼門

日本三大楼門の一つに数えられる、高さ約13メートルの朱塗りの門です。
公式サイトによると、浅草の水戸藩の下屋敷で130人あまりの大工が組み立ての準備をし、船や筏で運んできて組み上げたといいます。

本殿・拝殿

徳川秀忠が寄進した社殿で、本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)です。
鹿島神宮の本殿は、北を向いて建てられているのが特徴で、これは北の蝦夷(えみし)の地を守るためだとする説があります【伝承】。

奥宮

武甕槌大神の荒魂(あらみたま)をお祀りしています。
もとは家康が奉納した本殿で、深い森の中に、落ち着いた木の社殿が静かにたたずんでいます。

要石(かなめいし)

奥宮からさらに森の奥へ進むと、柵に囲まれた小さな石が、地面から少しだけ頭を出しています。
これが、鹿島神宮でいちばん有名な「要石」です。

公式サイトによると、この要石は地中深くまで埋まっていて、地震を起こす鯰(なまず)の頭を押さえていると、古くから伝えられています【伝承】。

御手洗池(みたらしいけ)

公式サイトによると、1日に40万リットル以上の水が湧き出し、水底が一面見渡せるほど澄みきった池です。
昔は、参拝する人がこの池で身を清めてから、お参りしたといわれます。
今でも、年のはじめに200人もの人が「大寒禊(だいかんみそぎ)」を行います。

鹿園

鹿島神宮では、鹿を神様の使いとして大切にしていて、境内には鹿園があります。
公式サイトによると、鹿の神様・天迦久神(あめのかくのかみ)が、天照大御神の命令を武甕槌大神に伝える大切な役割を果たしたことから、鹿が神の使いとされているそうです。

高房社

本殿へ向かう途中にある摂社で、建葉槌神(たけはづちのかみ)をお祀りしています。
公式サイトによると、まずこの高房社にお参りしてから本宮にお参りするのが、古くからの習わしだそうです。
うっかり素通りしないように、気をつけたいですね。

国宝の直刀「韴霊剣」

鹿島神宮には、国宝の「直刀・黒漆平文大刀拵(ちょくとう・くろうるしひょうもんたちごしらえ)」が伝わっています。
武甕槌大神の神剣として秘められてきた刀で、通称「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」と呼ばれています。
刀身の長さは223.4センチメートル。古代の直刀としては日本最大です。
奈良時代から平安時代にかけて作られたと考えられています。石上神宮の布都御魂とのちがいは、布都御魂の記事で紹介しています。

※ 宝物館は平成30年から休館していて、ふだんは見ることができません(2026年9月25日に公式サイトで確認)。

僕の身長よりもずっと長い刀身です。
これを振るうことができた神様は、いったいどれほど大きかったのでしょうか。

神事・例祭の意味

式年大祭御船祭(12年に一度)

鹿島神宮の最大のお祭りが、12年に一度、午年に行われる「式年大祭御船祭(みふねまつり)」です。
80隻を超える船が、北浦の湖上を渡御する、国内でも最大級の水上のお祭りです。

2026年はこの御船祭の年で、9月1日から3日にかけて行われました。
対岸の香取神宮の宮司が、鹿島神宮の御座船に乗り込んで祝詞を奏上する「香取神宮御迎祭」もあり、鹿島と香取の二つの神宮が、水の上で結ばれるお祭りでもあります。

次の御船祭は、12年後の2038年になる予定です。

祭頭祭(さいとうさい)

毎年3月に行われる、五穀豊穣と国家の安泰を願うお祭りです。
色とりどりの衣装を着た人々が、樫の棒を組んだりほどいたりしながら、にぎやかに町をめぐります。

例祭

毎年9月1日に行われる、一年でいちばん大切なお祭りです。

古神道的な視点での読み解き

剣と雷の神様

武甕槌大神の「たけみかづち」は、「勇ましい、厳(いか)めしい雷」を表すと考えられています。
剣の血から生まれ、剣先に座って国譲りを迫り、剣を地上に降ろして神武天皇を救う。
この神様の物語には、いつも「剣」と「雷」の力があります。

雷は、田んぼに雨をもたらす恵みでもあり、稲妻が稲を実らせると考えられて「稲妻」「稲光」と呼ばれました。
武の神様であると同時に、豊かな実りをもたらす神様でもあるんですね。

東の端を守る神様

鹿島神宮は、古代の都から見て、はるか東の果て、太平洋に面した場所にあります。
国譲りを成しとげた武の神様が、国の東の端に鎮まり、日の昇る方角を守っている。
そう考えると、鹿島神宮がこの地にあることにも、深い意味が感じられます。

まこも考察

ここからはまこもの考察です。

鹿島神宮で僕がいちばん心を動かされるのは、「要石」の小ささです。

地震を起こす大鯰を押さえている石と聞くと、大きな岩を想像します。
でも実際の要石は、地面からほんの少し頭を出しているだけの、小さな石です。
それなのに、水戸光圀が七日七晩掘っても、底にたどり着けなかった、と伝えられている。

目に見えている部分は小さくても、本当の姿は、地の底深くまで続いている。
これは、神様そのものの姿なのかもしれません。
素盞雄神社の瑞光石にも、「その根が隅田川まで延びていた」という伝承がありました。
日本の人々は、神様が宿る石を、見えないところで大地としっかりつながっているものとして感じてきたのだと思います。

武甕槌大神は、剣で国譲りを成しとげた、力強い神様です。
でも、その力は、振り回すためのものではなく、要石のように、地の底で静かに大地を押さえ、人々の暮らしを揺るがないように守るためのものなのではないでしょうか。

伝承・関連する話

【伝承】要石と水戸光圀

公式サイトによると、江戸時代、水戸黄門で知られる水戸藩主・徳川光圀は、要石がどこまで埋まっているのかを確かめようと、七日七晩にわたって掘らせました。
けれども、いつまでたっても底にたどり着けないばかりか、けが人が続出したため、あきらめたといいます【伝承】。

僕なら、三回掘ったあたりで腰を痛めて、光圀公より先にあきらめていたと思います。

【伝承】鹿島の要石と香取の要石

千葉県の香取神宮にも、要石があります。
鹿島の要石は上がへこんだ形、香取の要石は上が出っぱった形をしていて、二つの要石が地中でつながり、大鯰の頭と尾を押さえている、という言い伝えもあります【伝承】。
江戸時代には、鹿島の神様が鯰を押さえる姿を描いた「鯰絵(なまずえ)」も、たくさん作られました。くわしくは要石と鯰絵の記事で紹介しています。

【伝承】鹿島七不思議

鹿嶋市の紹介によると、鹿島神宮には、昔から「鹿島七不思議」が伝えられています。

1. 要石:地中深くまで埋まり、掘っても底にたどり着けない石
2. 御手洗池:大人が入っても子どもが入っても、水の深さが胸の高さを超えない池
3. 末無川(すえなしがわ):流れが途中で地中に消え、行き着く先が分からない川
4. 御藤の花:藤原鎌足が植えたとされる藤で、花の咲き方で豊作か凶作かを占った(今はない)
5. 根上がりの松:何度切っても、切り株から芽を出して枯れない松
6. 松の箸:境内の松で作った箸からは、松やにが出ないといわれた
7. 海の音:鹿島灘の波の音が、北から聞こえれば晴れ、南から聞こえれば雨

ただ、今はなくなってしまったものや、今の様子が分からないものもあります。
七つのうち、いくつを見つけられるか。そんな楽しみ方もできそうです。

【伝承】防人と「鹿島立ち」

奈良時代、東国から九州の守りにつく「防人(さきもり)」たちは、旅立つ前に鹿島神宮で旅の安全を祈ったといわれます。
そこから、旅に出ることを「鹿島立ち(かしまだち)」と呼ぶようになったとされます。

『万葉集』には、常陸国の防人・大舎人部千文(おおとねりべのちふみ)が詠んだ、こんな歌が残っています。

霰降り 鹿島の神を 祈りつつ 皇御軍(すめらみくさ)に 我は来にしを
(『万葉集』巻二十・4370)

「鹿島の神様に祈りながら、天皇の軍の一員として、私はやってきたのに」。
家族と離れて遠い九州へ向かった防人の思いが、今に伝わっています。

鹿島神宮ゆかりの作品・モデルになった作品

映画『すずめの戸締まり』(2022年)

新海誠監督のアニメ映画で、地震を起こす「ミミズ」を鎮める「要石」が、物語の大切な鍵になっています。
作品の中で鹿島神宮の名前が出てくるわけではありませんが、民俗学者の畑中章宏さんは、この映画の解説記事の中で、要石による地震鎮めの信仰として鹿島神宮と香取神宮の要石を紹介しています(CINRA)。
また、鹿島の神様の信仰を各地に広めた「鹿島の事触(ことぶれ)」という人々がいたことや、東北の沿岸に地震除けの鹿島社がたくさんあることにもふれています。
くわしくは要石と鯰絵の記事で紹介しています。

『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』(小説・アニメ)

御祭神の建御雷神をもとにした武神「タケミカヅチ」が登場します。
くわしくは建御雷神の記事で紹介しています。

参拝の作法・アクセス・御朱印

※ 以下の情報は、2026年9月25日に鹿島神宮の公式サイトなどで確認したものです。変更されることがあるので、お出かけの前に公式サイトで最新の情報を確認してください。

参拝の順番

公式サイトによると、本宮にお参りする前に、まず摂社の高房社にお参りするのが古くからの習わしです。
そのあと本殿(拝殿)、奥宮、要石、御手洗池とめぐるのがおすすめです。

参拝は、一般的な神社と同じく「二拝二拍手一拝」です。

アクセス

  • JR鹿島線・鹿島臨海鉄道「鹿島神宮駅」から徒歩約7分
鹿島神宮の地図(Googleマップ)

参拝時間・御朱印

  • 境内:参拝自由
  • 授与所・御朱印の受付:8:30〜16:30
  • 御朱印:本宮と奥宮の御朱印がある

※ 授与所の時間と御朱印の種類は、観光サイトなどの情報をもとにしています。

お問い合わせ

まとめ

  • 鹿島神宮は、国譲りの神・武甕槌大神をお祀りする、茨城県鹿嶋市の常陸国一宮です。
  • 『延喜式』で「神宮」と記されたのは、伊勢・鹿島・香取の三社だけでした。
  • 地震を起こす鯰を押さえる要石や、澄んだ御手洗池など、「鹿島七不思議」が伝えられています。
  • 国宝の直刀「韴霊剣」は、刀身223.4センチメートルの、日本最大の古代の直刀です。
  • 奈良の春日大社の神様と神鹿は鹿島から来たと伝えられ、防人たちの「鹿島立ち」、12年に一度の御船祭など、たくさんの物語がある神社です。

見えている部分は小さくても、地の底深くで大地を支えている。
鹿島神宮は、そんな静かで力強い守りを感じさせてくれる神社なんですよね。

よくある質問(FAQ)

Q. 鹿島神宮の要石は、本当に地震を防ぐのですか?
A. 要石が地震を起こす鯰の頭を押さえている、というのは昔からの言い伝えです。科学的に地震を防ぐわけではありませんが、地震の多い日本で、人々が大地の平穏を願ってきた気持ちが込められた伝承です。

Q. 鹿島神宮と香取神宮は、どんな関係ですか?
A. 鹿島神宮の武甕槌大神と、香取神宮の経津主大神は、日本書紀などで一緒に国譲りを成しとげた神様とされています。どちらも『延喜式』で「神宮」と記され、12年に一度の御船祭では、香取神宮の宮司が鹿島神宮の御座船に乗り込むなど、深い関わりがあります。息栖神社とあわせた「東国三社」については、東国三社の記事で紹介しています。

Q. 「鹿島立ち」とは、どういう意味ですか?
A. 旅に出ること、旅立ちを意味する言葉です。奈良時代の防人たちが、旅立つ前に鹿島神宮で旅の安全を祈ったことが、由来の一つとされています。

Q. 御船祭は、いつ見られますか?
A. 12年に一度、午年に行われます。2026年の9月に行われたので、次は2038年の予定です。

この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。

出典・参考文献

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