倭迹迹日百襲姫命と箸墓とは?神の妻となった巫女の姫と「昼は人、夜は神が造った墓」

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この記事で分かること
倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)は、日本書紀の崇神天皇の巻に登場する、神様の言葉を伝える巫女のような姫です。

大物主神の妻となった姫の悲しい物語、「昼は人が造り、夜は神が造った」と伝えられる箸墓(はしはか)、そして箸墓古墳をめぐる考古学の話まで、史料と伝承に分けてお話しします。

倭迹迹日百襲姫命と箸墓を一言でいうと

三輪山の神様の妻となった巫女の姫と、その姫が眠るとされる、日本で最初の巨大な前方後円墳です。

奈良県桜井市の箸墓古墳は、今は宮内庁によって、倭迹迹日百襲姫命の「大市墓(おおいちのはか)」として管理されています。
神話の世界と、考古学の世界がぴったり重なる、とても不思議な場所なんです。

倭迹迹日百襲姫命のプロフィール

項目内容
読みやまとととびももそひめのみこと
表記倭迹迹日百襲姫命(日本書紀)/夜麻登登母母曾毘売命(古事記)
父第7代・孝霊天皇
兄弟比古伊佐勢理毘古命(大吉備津日子命)など
夫大物主神(日本書紀)
墓箸墓(大市墓)。奈良県桜井市箸中の箸墓古墳
祀る神社田村神社(香川県高松市、讃岐国一宮)など

どの文献に出てくる?

古事記【史料】

古事記では、孝霊天皇の御子の一人として、「夜麻登登母母曾毘売命(やまとととももそびめのみこと)」の名前が出てきます。
同じ母から生まれた兄弟には、比古伊佐勢理毘古命(ひこいさせりびこのみこと)、またの名を大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)がいます。
古事記には、姫の名前が系譜に出てくるだけで、大物主神との物語は書かれていません。

日本書紀【史料】

大物主神の言葉を伝える

日本書紀の崇神天皇の巻では、疫病がはやり、民が離れていく中で、崇神天皇が神浅茅原(かむあさぢはら)に八十万の神々を集めて、占いをしました。
そのとき、神様が姫に乗りうつって、こう告げます。

是時、神明憑倭迹々日百襲姬命曰「天皇、何憂國之不治也。若能敬祭我者、必當自平矣。」
(『日本書紀』巻第五・崇神天皇七年)

読みやすくしてみると、「そのとき、神が倭迹迹日百襲姫命に乗りうつって言った。『天皇よ、なぜ国が治まらないことを憂えるのか。もし私をよく敬い祀れば、必ず自然と治まるだろう』」。

天皇が「そう教えるのは、どの神様ですか」と尋ねると、神様は「私は倭国の内にいる神、名を大物主神という」と答えました。
倭迹迹日百襲姫命は、大物主神の言葉を伝える、巫女のような存在だったんです。

謀反を見抜く

崇神天皇の十年、将軍の大彦命が北陸へ向かう途中、ある少女が不思議な歌を歌って、姿を消しました。
日本書紀によると、姫は「聡明で叡智があり、まだ起きていないことを知ることができた」ので、その歌が、武埴安彦(たけはにやすひこ)の謀反のしるしだと見抜きました。
その言葉どおり謀反が起こりましたが、天皇の軍はこれを打ち破りました。

櫛笥の中の小さな蛇

その後、倭迹迹日百襲姫命は、大物主神の妻になりました。
けれども、大物主神は昼には現れず、夜にだけやって来ます。

姫は夫に言いました。
「あなたは昼においでにならないので、お顔をはっきり見ることができません。どうか明日の朝まで留まって、美しいお姿を見せてください」。

大物主神は答えました。

言理灼然。吾明旦入汝櫛笥而居。願無驚吾形。

「もっともなことだ。私は明日の朝、あなたの櫛笥(くしげ、櫛を入れる箱)の中にいよう。どうか私の姿に驚かないでほしい」。

姫は不思議に思いながら、夜明けを待って櫛笥を開けます。

遂有美麗小蛇、其長大如衣紐、則驚之叫啼。

「そこには、美しい小さな蛇がいた。長さも太さも衣の紐ほどだった。姫は驚いて叫んでしまった」。

大物主神は恥じて、たちまち人の姿になり、「あなたは我慢できずに、私に恥をかかせた。私も、あなたに恥をかかせよう」と言って、大空を踏んで御諸山(三輪山)へ帰っていきました。

箸墓

爰倭迹々姬命、仰見而悔之急居、則箸撞陰而薨。乃葬於大市。故時人號其墓謂箸墓也。

「倭迹迹姫命は空を仰いで悔やみ、座りこんだはずみに、箸で陰部を突いて亡くなった。そこで大市に葬った。そのため人々は、その墓を箸墓と呼んだ」。

そして日本書紀は、この墓について、こう書いています。

是墓者、日也人作、夜也神作、故運大坂山石而造、則自山至于墓、人民相踵、以手遞傳而運焉。

読みやすくしてみると、「この墓は、昼は人が造り、夜は神が造った。大坂山の石を運んで造ったが、山から墓まで人々が列をつくって並び、手から手へ渡して運んだ」。

昼は人、夜は神。
人と神様が交代で、一つの墓を造り上げた。
この一文が、箸墓をほかにない特別な場所にしているんです。

その他の文献【史料】

奈良県の歴史文化資源データベース「いかす・なら」によると、日本書紀の天武天皇の巻にも「箸陵(はしのみささぎ)」の名前が出てきて、壬申の乱の戦場の一つになったことが書かれています。

箸墓古墳

日本で最初の巨大前方後円墳

奈良県の「いかす・なら」によると、箸墓古墳は、桜井市北部のJR巻向駅の周辺に広がる纒向(まきむく)遺跡の一角にある、全長約280メートルの巨大な前方後円墳です。
古墳時代前期のはじめ、3世紀中ごろから後半に造られたと考えられています。

箸墓古墳は、日本列島で最初の巨大前方後円墳とされ、そのあと約350年にわたって各地で造られる前方後円墳は、この纒向の地から広まったと考えられています。
箸墓古墳が造られたことは、日本という国の枠組みができていく過程の、大きな第一歩だったといえる、と説明されています。

纒向遺跡

桜井市纒向学研究センターによると、纒向遺跡は、初期のヤマト政権が生まれた地として注目されている遺跡です。

【噂・俗説】卑弥呼の墓という説

「いかす・なら」では、多くの研究者によって、箸墓古墳の被葬者の候補として、中国の歴史書『三国志』(魏志倭人伝)に出てくる邪馬台国の女王・卑弥呼の名前が挙げられている、と紹介されています。
神の言葉を伝える巫女の姫と、「鬼道」で人々を治めたとされる女王。
重ね合わせたくなる気持ちも分かります。

ただし、箸墓古墳が卑弥呼の墓だと確かめられたわけではなく、諸説あるうちの一つです。
宮内庁が陵墓として管理しているため、自由に発掘することもできません。

祀る主な神社

田村神社(香川県高松市)

讃岐国一宮で、倭迹迹日百襲姫命、五十狭芹彦命(吉備津彦命)、猿田彦大神、天隠山命(高倉下命)などをお祀りしています。
田村神社の公式サイトによると、倭迹迹日百襲姫命は、崇神天皇の時代に疫病に苦しむ人々を救い、武埴安彦の謀反を予知して未然に防ぐなど、数々の功績をあげました。
その後、弟の五十狭芹彦命とともに讃岐国に下り、農業や産業の開祖の神様になった、と伝えられています【伝承】。

大和で神の言葉を伝えた姫が、讃岐では田畑を開く神様としてお祀りされている。
姫の物語には、日本書紀に書かれていない続きがあったんですね。

古神道的な読み解き

神の言葉を伝える女性

倭迹迹日百襲姫命は、神様が乗りうつって言葉を伝え、まだ起きていないことを見通す、巫女のような姫として描かれています。
古代の日本では、神様の言葉を聞いて伝える女性が、国の大事な判断に深く関わっていたと考えられています。
天岩戸の神話で踊った天宇受売命や、神功皇后の神がかりの話にも、同じような姿が見られます。

見てはいけないもの

「見てはいけない」と言われたのに、見てしまう。
この形の話は、日本の神話や昔話にくり返し出てきます。
伊邪那岐命が黄泉の国で伊邪那美命の姿を見てしまう話、山幸彦の妻・豊玉毘売の出産の話、そして鶴の恩返し。
見てはいけない姿を見ると、別れがやって来るんです。

まこも考察

ここからはまこもの考察です。

倭迹迹日百襲姫命は、神様の言葉を聞き、未来さえ見通すことができた姫でした。
それなのに、いちばん近くにいた夫の本当の姿だけは、見ることができなかった。
そして、見た瞬間に、驚いて叫んでしまった。

僕は、ここに、とても人間らしい姿を感じます。
遠くのことはよく見えるのに、近くにいる大切な人のことは、案外よく分かっていない。
分かったつもりで、実は相手のありのままの姿を受けとめる準備ができていない。
そういうことは、神話の中だけでなく、私たちの毎日にもあると思うんです。

大物主神は「驚かないでほしい」と、先に頼んでいました。
小さな蛇の姿は、神様がいちばん見せたくなかった、ありのままの姿だったのかもしれません。
それを受けとめられなかったことを、姫は悔やみ続けた。

でも、姫の墓は、昼は人が、夜は神が造りました。
神様は、恥をかかされても、姫の墓を夜ごとに造り続けたんです。
去っていった大物主神の心の中にも、姫への思いは残っていた。
僕は、箸墓の「夜は神が造った」という一文を読むたびに、そう思わずにはいられません。

伝承・関連する話

【伝承】姫の名前の意味

田村神社の公式サイトでは、「百襲(ももそ)」の「襲」は勲功(いさお)の意味で、数々の功績をあげたことからこの名がついた、と紹介されています【伝承】。
名前の意味には、ほかにも説があります。

【伝承】讃岐へ渡った姫

田村神社の公式サイトによると、姫の御陵(昼は人が造り、夜は神が造ったといわれる箸の陵)は大和国城上郡大市村にあるとされています。
一方で、姫は讃岐国に下って、農業の開祖の神様になったとも伝えられています【伝承】。
大和の墓と、讃岐の神社。
どちらにも姫の物語が残されているのは、それだけ多くの人に慕われた姫だったからなのかもしれません。

僕も、昼は人として、夜は神様のように働けたら、原稿がもっと早く進むのにと思うことがあります。
実際は、夜はたいてい寝ています。

まとめ

  • 倭迹迹日百襲姫命は、孝霊天皇の皇女で、日本書紀では大物主神の言葉を伝え、未来を見通す巫女のような姫として描かれています。
  • 大物主神の妻となりましたが、夫の正体が櫛笥の中の小さな蛇だと知って驚き、悲しい最期をとげました。
  • 姫の墓は箸墓と呼ばれ、「昼は人が造り、夜は神が造った」と日本書紀に書かれています。
  • 奈良県桜井市の箸墓古墳は、日本列島で最初の巨大前方後円墳とされ、宮内庁が大市墓として管理しています。
  • 卑弥呼の墓という説もありますが、諸説あるうちの一つです。香川県の田村神社では、姫が神様としてお祀りされています。

神の言葉を聞き、神の妻となり、神と人が造った墓に眠る姫。
三輪山のふもとの大きな古墳は、今も静かに、その物語を守っているんですよね。

よくある質問(FAQ)

Q. 箸墓という名前は、どこから来たのですか?
A. 日本書紀に、倭迹迹日百襲姫命が箸で陰部を突いて亡くなり、その墓を人々が「箸墓」と呼んだ、と書かれていることに由来します。

Q. 箸墓古墳は、卑弥呼の墓なのですか?
A. 多くの研究者が被葬者の候補として卑弥呼の名を挙げていますが、確かめられたわけではありません。諸説あるうちの一つです。宮内庁は倭迹迹日百襲姫命の大市墓として管理しています。

Q. 箸墓古墳は見学できますか?
A. 宮内庁が管理する陵墓なので、墳丘に入ることはできませんが、まわりから古墳の姿を眺めることができます。お出かけの前に、桜井市などの観光情報を確認してください。

Q. 倭迹迹日百襲姫命は、どこでお祀りされていますか?
A. 香川県高松市の田村神社(讃岐国一宮)で、主祭神の一柱としてお祀りされています。

この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。

出典・参考文献

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