猿田毘古神ってどんな神様?天孫を導いたみちひらきの神

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雲の上の光の分かれ道に杖を持って立ち、天と地を照らす猿田毘古神のイメージイラスト
猿田毘古神のイメージイラストです

この記事で分かること
猿田毘古神(さるたびこのかみ)は、天孫降臨のときに天と地の分かれ道で待ち、道案内をした神様です。

名前の意味、古事記と日本書紀で大きく違う姿、天宇受売命(あめのうずめのみこと)との縁、そして「みちひらきの神様」として今も信仰されている理由を、史料と伝承に分けてお話しします。

猿田毘古神を一言でいうと

天照大御神の孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)が地上に降りるとき、天の分かれ道で出迎えて道案内をした国つ神です。

上は高天原を、下は地上の国を照らしていたという不思議な神様で、案内を終えたあとは伊勢に帰りました。

物事のはじめに立って、正しい方向へ導いてくれる。
そんな「みちひらき」の神様として、今もたくさんの人にお参りされているんですよね。

名前の意味を見てみよう

「さるたびこ」という名前の意味には、いくつもの説があります(國學院大學 神名データベース)。

  • 田の神様説:「さ」は神聖なこと、「た」は田。神聖な田をつかさどる土地の神様
  • 地名説:日本書紀で猿田彦大神が向かったとされる伊勢の「狭長田(さなだ)」という土地の名前と関係がある
  • 佐太大神説:「さた」と読んで、出雲の佐太大神(さだのおおかみ)と同じ神様とみる
  • 戯人(さるど)説:「さるだ」と読んで、滑稽なしぐさで人を笑わせる人(戯人)を表す

「びこ(毘古・彦)」は男性をたたえる言葉です。
どの説にも決め手があるわけではなく、名前からして謎の多い神様なんです。

ちなみに「猿」の字が使われていますが、猿そのものの神様というわけではありません。
ただ、この字のおかげで、のちに猿と結びついたいろいろな信仰が生まれていきます(あとでくわしく紹介します)。

猿田毘古神のプロフィール

項目内容
読みさるたびこのかみ
表記猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神(古事記)/猿田彦大神・猿田彦神(日本書紀)
別名底度久御魂(そこどくみたま)・都夫多都御魂(つぶたつみたま)・阿和佐久御魂(あわさくみたま)(古事記)、衢神(ちまたのかみ、日本書紀)
呼ばれ方猿田彦さん、みちひらきの大神
分類国つ神(くにつかみ)
ゆかりの神様天宇受売命(あめのうずめのみこと)
子孫とされる氏族宇治土公(うじのつちぎみ)氏
  • 国つ神(くにつかみ)=高天原の「天つ神」に対して、もともと地上にいた神様
  • 衢(ちまた)=道が分かれるところ、分かれ道

どの文献に出てくる?

古事記【史料】

① 天の八衢の光る神

邇邇芸命が天から降りようとしたときのことです。

天の分かれ道「天の八衢(あめのやちまた)」に、ふしぎな神様がいました。

居天之八衢而、上光高天原、下光葦原中國之神、於是有。
(『古事記』上巻・天孫降臨)

「天の八衢にいて、上は高天原を照らし、下は葦原中国(地上の国)を照らす神様が、そこにいた」。

天照大御神と高木神は、天宇受売命にこう命じます。
「あなたはか弱い女性だが、向き合った相手に気おされない神様だ。だからあなたが行って、『天つ神の御子が天から降りる道に、そうしているのは誰か』と尋ねなさい」。

天宇受売命が尋ねると、その神様は答えました。

僕者國神、名猨田毘古神也。所以出居者、聞天神御子天降坐故、仕奉御前而、參向之侍。

「私は国つ神で、名を猿田毘古神と申します。ここに出てきたのは、天つ神の御子が天から降りていらっしゃると聞いたので、先導としてお仕えしようと、お迎えに参ってお待ちしていたのです」。

あやしい神様かと思いきや、実はお迎えに来てくれていたんです。

② 天宇受売命に送られて、伊勢へ

邇邇芸命が無事に地上に降りたあと、邇邇芸命は天宇受売命にこう命じます。
「先導してくれた猿田毘古大神は、あなたが正体を明らかにした神様だから、あなたがお送りしなさい。そして、その神様の名前はあなたが受け継いでお仕えしなさい」。

こうして天宇受売命は猿田毘古神を送り届け、その子孫は「猿女君(さるめのきみ)」と呼ばれるようになりました。

男神様の名前を、女性たちが受け継いで「猿女」と名乗っている。
古事記は、この名前の由来をわざわざ書き残しているんです。

③ 阿邪訶の海に沈む

その後、猿田毘古神は阿邪訶(あざか、今の三重県松阪市のあたり)にいたとき、漁をしていて比良夫貝(ひらぶがい)に手をはさまれ、海に沈んでしまいます。

古事記はこのとき、猿田毘古神に三つの名前が生まれたと記しています。

名前生まれたとき
底度久御魂(そこどくみたま)海の底に沈んだとき
都夫多都御魂(つぶたつみたま)海水に泡がつぶつぶと立ちのぼったとき
阿和佐久御魂(あわさくみたま)その泡がはじけたとき

沈んでいく様子、泡が立つ様子、泡がはじける様子。
一つの出来事を三つの場面に分けて、それぞれに「御魂」の名前を付けているんです。

日本書紀【史料】

「衢の神」の姿

日本書紀の第九段 一書第一では、猿田彦大神の姿がくわしく描かれています。

先に様子を見に行った神様が、戻ってきてこう報告しました。

有一神、居天八達之衢。其鼻長七咫、背長七尺餘、當言七尋。且口尻明耀、眼如八咫鏡而赩然似赤酸醤也。
(『日本書紀』巻第二 神代下 第九段 一書第一)

読みやすくしてみると、「天の八達之衢(やちまた)に一柱の神様がいます。その鼻の長さは七咫(ななあた)、背の高さは七尺あまり、いや七尋(ななひろ)というべきでしょう。口元とお尻が光り輝き、目は八咫鏡(やたのかがみ)のように大きく、赤いほおずきのように照り輝いています」。

「咫(あた)」は、手のひらを広げたときの親指の先から中指の先までの長さといわれます。
それが七つ分ですから、とても長い鼻です。
僕は花粉症の季節になると鼻のことばかり気になるのですが、七咫もあったら、ティッシュが何箱あっても足りなさそうです。

にらみ負けしない天鈿女

たくさんの神様が向かっていきましたが、みな猿田彦大神の目に気おされて、話しかけることができませんでした。
そこで天照大神は、「人と向き合っても目で負けない」天鈿女(あめのうずめ)を行かせます。

天鈿女は、堂々と笑いながら猿田彦大神の前に立ちました。
猿田彦大神が「なぜそうしているのか」と尋ねると、天鈿女は「天照大神の御子が通る道に、こうしているあなたは誰か」と問い返します。

猿田彦大神は、「天照大神の御子が降りてくると聞いたので、お迎えしてお待ちしていた。私の名は猿田彦大神である」と答えました。

天孫は高千穂へ、猿田彦は伊勢へ

天鈿女は続けて尋ねます。
「あなたが先に行くのか、私が先に行くのか」。
猿田彦大神は「私が先に行って道をひらこう」と答え、こう告げました。

天神之子、則當到筑紫日向高千穗槵觸之峯。吾則應到伊勢之狹長田五十鈴川上。

「天つ神の子は、筑紫の日向の高千穂の槵触(くしふる)の峰に行かれるだろう。私は伊勢の狭長田(さなだ)の五十鈴川(いすずがわ)の川上に行こう」。

五十鈴川の川上は、のちに伊勢神宮の内宮が建てられる場所です。
猿田彦大神が伊勢に帰ったことは、伊勢神宮の成り立ちとも深くつながっているんです。

古事記日本書紀 第九段 一書第一
姿上は高天原、下は地上を照らす鼻が七咫、背が七尺あまり、口元と尻が輝き、目は鏡のよう
呼び名猿田毘古神・猿田毘古大神衢神・猿田彦大神
帰った場所(阿邪訶の海で沈む話へ続く)伊勢の狭長田の五十鈴川の川上
天宇受売命との関係送り届け、名前を受け継いで「猿女君」に送り届け、「猿女君」の名を賜る

その他の文献【史料】

出雲国風土記(いずものくにふどき)の佐太大神
出雲国風土記には、島根郡の加賀の神埼(かかのかんざき)の洞窟で生まれた「佐太大神(さだのおおかみ)」という神様が登場します。
造化三神の記事で紹介した、神魂命(かみむすひのみこと)の御子・枳佐加比売命(きさかひめのみこと)が産んだ神様です。
今の佐太神社(島根県松江市)では、この佐太大神を猿田彦大神と同じ神様としてお祀りしています。

伊勢の伝え
平安時代の伊勢神宮に関わる書物には、倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神の鎮まる場所を探していたとき、太田命(おおたのみこと)という神様が五十鈴川の川上の土地を献上した、という話が伝えられています。
この太田命は、鎌倉時代ごろから猿田毘古神の子孫とされるようになりました(國學院大學 神名データベース)。
その子孫とされる宇治土公氏は、代々、伊勢神宮の内宮にお仕えしてきました。

古史古伝での扱い

古史古伝での猿田毘古神の扱いについては、内容を確かめられる資料が見つからなかったため、この記事では紹介を控えます。

御神徳(ご利益)

  • みちひらき・導き:天孫を正しい道へ導いた神様として、物事のはじまりや、進む道に迷ったときに導きを願って参拝する人が多いとされます。
  • 交通安全・旅行安全:道案内の神様として、交通安全や旅の安全の神様とされています。
  • 方位除け・厄除け:分かれ道に立つ神様として、悪いものが入ってこないように守る「境の神様」とも考えられてきました。
  • 芸能・縁結び:天宇受売命と結ばれた神様として、芸能や縁結びを願う人もいます。

祀る主な神社

猿田彦神社(三重県伊勢市)

伊勢神宮の内宮のすぐ近くにある、「みちひらきの大神」をお祀りする神社です。
御祭神は猿田彦大神と、倭姫命を五十鈴川の川上に案内した大田命です。
猿田彦大神の子孫とされる宇治土公家が、代々宮司をつとめています。
境内には、天宇受売命をお祀りする佐瑠女神社(さるめじんじゃ)もあります。

椿大神社(三重県鈴鹿市)

「猿田彦大本宮」を名乗る神社で、全国に二千社あまりある猿田彦大神の神社の本宮とされています【伝承】。
伊勢国の一宮ともされています。

白鬚神社(滋賀県高島市)

琵琶湖の中に大きな鳥居が立つことで知られる神社です。
猿田彦命をお祀りし、「近江最古の大社」とされ、全国の白鬚神社の総本社とされています【伝承】。
社伝では、垂仁天皇の時代に創建されたと伝えられています【伝承】。

佐太神社(島根県松江市)

出雲国風土記の佐太大神をお祀りし、その佐太大神を猿田彦大神と同じ神様としています。
出雲国の中でもとくに大切にされた神社の一つで、「佐陀神能(さだしんのう)」という神楽でも知られています。

猿田彦神社、椿大神社、白鬚神社と、「猿田彦の本宮」を名乗る神社がいくつもあります。
どの神社もそれぞれの由緒を伝えていて、どこが「いちばん古い」かを決めることはできません。
ここでは順位はつけないでおきますね。

古神道的な読み解き

記紀での立ち位置

猿田毘古神は、天孫降臨の場面にだけ登場する国つ神です。

天照大御神の孫が高天原から降りてくるとき、地上の側から迎えに出て、道を案内する。
天つ神と国つ神が出会う「境目」に立っている神様なんです。

大国主命が国を「譲った」国つ神だとすれば、猿田毘古神は天つ神を「迎え入れた」国つ神だといえます。

研究者の見方

伊勢の土地の神様?海の神様?
猿田毘古神が伊勢に帰ったこと、阿邪訶の海で漁をしていて沈んだことから、もとは伊勢の土地の神様、または伊勢の海の民がお祀りしていた神様だったのではないか、と考えられています(國學院大學 神名データベース)。
阿邪訶で沈んだ話は、伊勢の漁民が朝廷に従うことを表した物語だとする見方もあります。

光る神様、境の神様
古事記で「天と地を照らしていた」と描かれることから、太陽の神様、または太陽の神様のお使いだったとする説があります。
また、分かれ道に立って、よそから来るものを見定める姿から、境を守る神様(境界神)としての性格も指摘されています。

古神道の考え方との関わり

  • 衢(ちまた)と境の神
    村の入り口や分かれ道には、昔から悪いものが入ってこないように「塞(さえ)の神」「道祖神(どうそじん)」がお祀りされてきました。分かれ道で天孫を迎えた猿田毘古神は、こうした境の神様と重ねて信仰されるようになります。
  • 鎮魂(たましずめ)と猿女君
    猿田毘古神の名前を受け継いだ猿女君は、天宇受売命の子孫として、宮中の鎮魂祭で舞をつとめたと伝えられています。天岩戸で神々を笑わせた天宇受売命と、道をひらく猿田毘古神。二柱の縁は、祭りの中に受け継がれてきたんです。
  • 御魂(みたま)
    阿邪訶の海で沈んだとき、猿田毘古神には三つの「御魂」の名前が生まれました。一柱の神様の中に、いくつもの御魂があるという考え方がよく表れています。

まこも考察

ここからはまこもの考察です。

猿田毘古神の物語で、僕がいちばん心に残るのは、最初の出会いの場面です。

天の分かれ道に、大きな体で、目をらんらんと光らせた神様が立っている。
たくさんの神様が気おされて、近づくことさえできなかった。
でも、天宇受売命がまっすぐに向き合って「あなたは誰?」と尋ねると、その神様は「お迎えに来ました」と答えたんです。

見た目が怖そうだったり、よく知らない相手だったりすると、私たちはつい身構えてしまいます。
でも、勇気を出して向き合って、言葉を交わしてみると、相手は実は自分を助けようとしてくれていた。
猿田毘古神の物語は、そんなことを教えてくれているように思います。

そして、道をひらいた猿田毘古神は、天孫の行く先を見届けたあと、自分の故郷・伊勢に帰っていきます。
その五十鈴川の川上に、のちに天照大御神がお祀りされる。
導く側が先に道をひらき、あとから来る者がそこに落ち着く。

「みちひらき」とは、自分が主役になることではなく、誰かのために先に立って道を照らすことなのかもしれません。
僕は、そう感じています。

他の神様とのつながり

  • 天宇受売命(あめのうずめのみこと):猿田毘古神の正体を明らかにし、伊勢まで送り届けた女神様。猿女君の祖
  • 邇邇芸命(ににぎのみこと):猿田毘古神が道案内をした天照大御神の孫
  • 天照大御神(あまてらすおおみかみ):天孫降臨を命じた神様。のちに五十鈴川の川上にお祀りされる
  • 高御産巣日神(高木神):天照大御神とともに天宇受売命を遣わした神様
  • 佐太大神(さだのおおかみ):出雲国風土記の神様。佐太神社では猿田彦大神と同じ神様とされる
  • 倭姫命(やまとひめのみこと)・太田命(おおたのみこと):伊勢神宮の鎮座に関わる神様・人物

伝承・関連する話

【伝承】天狗のモデル?

日本書紀の「鼻の長さは七咫、目は鏡のように輝く」という描写から、猿田彦大神は、赤い顔で鼻の高い天狗(てんぐ)の姿で描かれることが多くなりました。

今も各地のお祭りで、神輿(みこし)の行列の先頭を、天狗のお面をつけた「猿田彦」が歩いて道を清め、先導する姿が見られます【伝承】。
天孫を先導した神話が、お祭りの行列の中で今も繰り返されているんです。

【伝承】庚申信仰と道祖神

「猿田」の「猿」の字が、干支の「申(さる)」と結びついたことから、猿田彦大神は、江戸時代に広まった庚申(こうしん)信仰の神様としてもお祀りされるようになりました。
また、分かれ道の神様であることから、村境の道祖神とも同じ神様とされ、道ばたの石碑に「猿田彦大神」と刻まれていることもあります。

散歩の途中で、道ばたの古い石碑に「猿田彦大神」の文字を見つけたら、それは昔の人が道の安全を願ってお祀りした神様なんです。

【噂・俗説】「猿田彦は外国から来た神様」

猿田彦大神の長い鼻や大きな体、赤い顔の描写から、「外国から来た人がモデルになった神様だ」という話が語られることがあります。

ただ、これを確かめる史料はありません。
日本書紀の描写は、「普通の神様とはまったく違う、圧倒的な存在感を持つ神様」を表すための表現だと考えるのが自然でしょう。
むしろ、目の輝きを「八咫鏡のよう」、赤さを「ほおずきのよう」と、身近なものにたとえて描いているところに、古代の人々の想像力が表れているように思います。

まとめ

  • 猿田毘古神は、天孫降臨のときに天の分かれ道で邇邇芸命を出迎え、道案内をした国つ神です。
  • 古事記では天と地を照らす神様、日本書紀では長い鼻と輝く目を持つ衢の神として描かれています。
  • 正体を明らかにした天宇受売命に送られて伊勢へ帰り、その名前は猿女君に受け継がれました。
  • 阿邪訶の海に沈んだとき、底度久・都夫多都・阿和佐久の三つの御魂の名前が生まれました。
  • 「みちひらきの神様」として、交通安全や物事のはじまりの導きを願って信仰され、天狗や道祖神の姿でも親しまれています。

怖そうに見えた神様が、実は道をひらくために待っていてくれた。
猿田毘古神は、新しい一歩を踏み出すときに、そっと先を照らしてくれる神様なのかもしれません。

よくある質問(FAQ)

Q. 「猿田毘古神」と「猿田彦大神」は、同じ神様ですか?
A. はい、同じ神様です。古事記では「猿田毘古神」、日本書紀では「猿田彦大神」と書かれています。神社では「猿田彦大神」「猿田彦命」などの書き方がよく使われています。

Q. 猿田彦大神は、天狗なのですか?
A. 天狗そのものではありません。日本書紀に「鼻が長く、目が輝く」と描かれていることから、後の時代に天狗の姿で描かれるようになりました。お祭りで天狗のお面をつけた猿田彦が行列を先導するのは、この神話にちなんだものです。

Q. 猿田彦大神と天宇受売命は、夫婦なのですか?
A. 古事記・日本書紀には、二柱が結婚したとははっきり書かれていません。天宇受売命が猿田毘古神を送り届け、その名前を受け継いで「猿女君」になったことから、夫婦の神様として一緒にお祀りされることが多くなりました。

Q. 「みちひらき」とは、どういう意味ですか?
A. 猿田毘古神が天孫降臨で先に立って道を案内したことから、「物事のはじめに、よい方向へ導いてくれる」という意味で使われています。新しい仕事や引っ越し、旅立ちの前にお参りする人も多いとされます。

この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。

出典・参考文献

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