伊邪那岐命ってどんな神様?国生み・黄泉の国・禊の物語

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朝の雲海の上で天の沼矛を手に立ち、はるか下の海に浮かぶ島々を見守る伊邪那岐命のイメージイラスト
伊邪那岐命のイメージイラストです

この記事で分かること
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、日本の島々と多くの神様を生んだ神様です。
名前の意味、古事記と日本書紀で大きく違う物語、そして今も神社で唱えられる祓詞(はらえことば)とのつながりまで、史料と伝承に分けてお話しします。

伊邪那岐命を一言でいうと

伊邪那美命(いざなみのみこと)と夫婦になって、日本の国土と多くの神様を生んだ神様です。
妻を亡くして黄泉の国まで迎えに行き、戻ってから禊(みそぎ)をして、天照大御神・月読命・須佐之男命の「三貴子(さんきし)」を生みました。

国のはじまり、死と別れ、そして清め。
日本神話のいちばん大きな物語を最初から最後まで歩いた神様なんですよね。

名前の意味を見てみよう

「いざなぎ」は、三つに分けて考えられています。

  • いざ:「いざ行こう」の「いざ」。人を誘う言葉
  • な:「の」と同じ、つなぎの言葉(「いざなう」の語幹とみる説もあります)
  • き:男性を表す言葉

合わせて「誘う男神様」。
妻の伊邪那美命は、最後が「み(女性)」になっていて、「誘う女神様」です(國學院大學 神名データベース)。

二柱は、天の御柱(みはしら)をまわって互いに声をかけ合い、夫婦になります。
名前そのものが、「声をかけ合い、誘い合って何かを始める」二柱の姿を表しているんです。
日本の国づくりが「ねえ、一緒にやろう」という誘いから始まるのは、なんだかほほえましいですよね。
ちなみに僕は、誘われるとすぐ「行く行く!」と答えてしまうので、よく予定が埋まりすぎて困っています。

ちなみに、古事記や日本書紀の書き方では「き」は濁らない音で、古くは「いざなき」と読まれていたと考えられています。
今は「いざなぎ」と濁って読むのが一般的ですね。

伊邪那岐命のプロフィール

項目内容
読みいざなぎのみこと(古くは いざなき)
表記伊邪那岐命・伊邪那岐神・伊邪那岐大神(古事記)/伊弉諾尊(日本書紀)
呼ばれ方伊邪那岐大神、お多賀さん(多賀大社で)、いざなぎさん
分類神世七代(かみよななよ)の最後の代の男神様
配偶神伊邪那美命
主な子日本の島々(大八島国)、多くの自然の神様、天照大御神・月読命・須佐之男命(三貴子)
  • 神世七代(かみよななよ)=造化三神などの「別天神」のあとに現れる、七代の神様。伊邪那岐命・伊邪那美命は、その七代目です

どの文献に出てくる?

古事記【史料】

古事記の上巻で、伊邪那岐命はずっと物語の中心にいます。
場面ごとに見ていきましょう。

① 天の沼矛(ぬぼこ)とおのごろ島

天の神様たちは、伊邪那岐命・伊邪那美命に「このただよっている国を整えて固めなさい」と命じ、天の沼矛という矛を授けます。

於是天神諸命以、詔伊邪那岐命・伊邪那美命二柱神、修理固成是多陀用幣流之國、賜天沼矛而言依賜也。
(『古事記』上巻・淤能碁呂島)

二柱が天の浮橋に立って、矛で海をかき混ぜ、「こをろこをろ」と引き上げると、矛の先からしたたった塩が積もって島になりました。
これが淤能碁呂島(おのごろじま)です。
「おのずから凝り固まった島」という意味だといわれます。

僕も台所で鍋をかき混ぜることはありますが、残念ながら島ができたことは一度もありません。

② 結婚と国生み

二柱はおのごろ島に降り、天の御柱をまわって、声をかけ合って夫婦になります。
最初は伊邪那美命から声をかけたところ、うまくいかず、天の神様に相談してやり直しました。
今度は伊邪那岐命から声をかけ、淡路島をはじめとする大八島国(おおやしまのくに)、つまり日本の島々が生まれます。

「女神様から先に声をかけたのがよくなかった」という話は、古代の考え方が反映された部分だと読まれています。

③ 神生みと、伊邪那美命の死

国のあとは、海・山・風・木・野など、たくさんの神様を生みます。
ところが、火の神様・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生んだとき、伊邪那美命はやけどを負って亡くなってしまいます。

伊邪那岐命は深く嘆き、十拳剣(とつかのつるぎ)で迦具土神を斬りました。
その血から、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)など、何柱もの神様が生まれています。

④ 黄泉の国

伊邪那岐命は、亡くなった妻に会うため、死者の国・黄泉(よみ)の国へ向かいます。
伊邪那美命は「黄泉の国の食べ物を食べてしまったので、もう戻れないかもしれない。黄泉の神様と相談してくるので、その間、私の姿を見ないでください」と言って奥へ入りました。

待ちきれなくなった伊邪那岐命が火をともして中をのぞくと、そこには変わり果てた伊邪那美命の姿がありました。
恐れて逃げ出した伊邪那岐命を、黄泉の軍勢が追いかけます。
伊邪那岐命は髪飾りや櫛を投げ、最後は黄泉比良坂(よもつひらさか)で桃の実を三つ投げて、追っ手を退けました。

坂を大きな岩(千引の石・ちびきのいわ)でふさいだ伊邪那岐命に、伊邪那美命は言います。

汝國之人草、一日絞殺千頭。
(あなたの国の人々を、一日に千人殺しましょう)

伊邪那岐命は答えます。

愛我那邇妹命、汝爲然者、吾一日立千五百産屋。
(いとしい妻よ、あなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てよう)

一日に千人が亡くなり、千五百人が生まれる。
古事記は、人の命に限りがあることと、それでも命が増えていくことの始まりを、この夫婦の別れの言葉として語っているんです。

⑤ 禊と三貴子

黄泉の国から戻った伊邪那岐命は、「私はとても汚れた国に行ってしまった」と言って、身を清めることにします。
その場所が、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(おど)の阿波岐原(あわきはら)です。

身につけていたものを脱ぎ、水に入って体をすすぐたびに、次々と神様が生まれました。
最後に顔を洗ったとき、次の三柱が生まれます。

  • 左の目から:天照大御神(あまてらすおおみかみ)
  • 右の目から:月読命(つくよみのみこと)
  • 鼻から:須佐之男命(すさのおのみこと)

伊邪那岐命はとても喜び、「たくさんの子を生んできたが、最後に三柱の貴い子を得た」と言いました。
そして天照大御神には高天原を、月読命には夜の国を、須佐之男命には海原を治めるよう命じます。

⑥ 多賀に鎮まる

古事記の伊邪那岐命の物語は、次の一文で結ばれます。

故其伊邪那岐大神者、坐淡海之多賀也。
(伊邪那岐大神は、淡海の多賀にいらっしゃる)

「淡海(おうみ)」は今の滋賀県、つまり近江です。
ただ、古事記の写本の中には「淡路の多賀」と書かれたものもあり、どちらが本来の形かは説が分かれています(國學院大學 神名データベース)。

日本書紀【史料】

日本書紀では、同じ伊弉諾尊の物語でも、ずいぶん違う描き方がされています。

本文では、伊弉冉尊は亡くならない

日本書紀の神代上・第五段の本文では、二柱は山や川、木や草の神様を生んだあと、相談してこう言います。
「もう大八洲国と山川草木を生んだ。どうして天下の主を生まないことがあろうか」。

そして二柱で一緒に、日の神様(大日孁貴・おおひるめのむち)、月の神様、蛭児(ひるこ)、素戔嗚尊を生みます。
火の神様を生んで伊弉冉尊が亡くなる話も、黄泉の国の話も、本文にはありません。
それらは本文のあとに並ぶ異伝(一書)の中に出てきます。

三貴子の生まれ方も、書物によって違う

三貴子の生まれ方
古事記伊邪那岐命が禊で顔を洗ったとき、左目・右目・鼻から生まれる
日本書紀 本文伊弉諾尊・伊弉冉尊の二柱が一緒に生む
日本書紀 第五段 一書第一伊弉諾尊が左手に白銅鏡(ますみのかがみ)を持つと日の神様が、右手に持つと月の神様が、首を回して振り返ったときに素戔嗚尊が現れる
日本書紀 第五段 一書第六古事記と同じように、黄泉の国から戻ったあとの禊で生まれる

最後に鎮まる場所

日本書紀の第六段の本文は、伊弉諾尊の最後をこう記しています。

是後、伊弉諾尊、神功既畢、靈運當遷。是以、構幽宮於淡路之洲、寂然長隱者矣。
(『日本書紀』巻第一 神代上 第六段)

読みやすくしてみると、「伊弉諾尊は神としてのはたらきをすべて終え、この世を去るときが来た。そこで淡路の島に幽宮(かくりのみや)を構え、静かに長く隠れられた」。

さらにそのすぐあとに、別の伝えとして「天に昇って報告し、日の少宮(ひのわかみや)にとどまった」とも書かれています。
淡路か、近江か、それとも天か。
最後の居場所だけでも、これだけの伝え方があるんです。

その他の文献【史料】

延喜式(えんぎしき)
平安時代の神名帳に、淡路国津名郡の「淡路伊佐奈伎神社(あわじいざなぎじんじゃ)」、近江国犬上郡の「多何神社(たがじんじゃ)二座」が載っています。
それぞれ、今の伊弉諾神宮と多賀大社にあたる神社とされます。

祝詞(のりと):祓詞(はらえことば)
今も多くの神社で、お祓いのはじめに唱えられている祓詞は、伊邪那岐命の禊の場面そのものです。

掛けまくも畏き伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等
(祓詞・神社本庁)

「口に出すのもおそれ多い伊邪那岐大神が、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊ぎ祓いをなさったときに生まれた祓戸(はらえど)の大神たちよ」。
神社でお祓いを受けるとき、私たちは毎回、この神話の場面を呼び起こしているんです。

古史古伝での扱い

古事記・日本書紀とは別系統の伝承として、「古史古伝」と呼ばれる文書群があります。
いずれも成立や真偽をめぐって論争があり、偽書とする見方が有力なものです。
ここでは「こう記されている」という紹介にとどめます。

ホツマツタヱ(秀真伝)
江戸時代後期の成立とみられる文書です。
ここではイサナギ・イサナミは、国を治める「七代目のアマカミ」として描かれています。
イサナギのもとの名はタカヒト、イサナミのもとの名はイサコで、イサコはトヨケ(豊受大神にあたる人物)の娘とされています。
神様というより、国を立て直した夫婦の君主として語られているのが特徴です。

御神徳(ご利益)

  • 延命長寿:多賀大社では、延命長寿・縁結び・厄除けの神様として信仰されています。鎌倉時代のはじめ、東大寺の再建を任された僧・重源(ちょうげん)が参拝して、寿命を二十年延ばしてもらったという話が伝えられています【伝承】。
  • 縁結び・夫婦円満:はじめて夫婦になった神様として、縁結びや夫婦円満を願って参拝する人が多いとされます。
  • 国土・いのちの親神様:国土と神々を生んだ「親神様」として敬われています。
  • 祓い・清め:禊をした神様として、祓詞の中で今も名前が唱えられています。

多賀大社には「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」という俗謡があります。
伊勢神宮の天照大御神は、伊邪那岐命・伊邪那美命の子どもだから、親神様にもお参りしなさい、という意味です。

祀る主な神社

伊弉諾神宮(兵庫県淡路市多賀)

伊弉諾尊・伊弉冉尊をお祀りする、淡路国の一宮です。
地元では「いっくさん」と呼ばれています。
日本書紀の「淡路の洲に幽宮を構えた」という記述にもとづき、伊弉諾尊が晩年を過ごした住まいの跡とされています。
社伝では、本殿の下が伊弉諾尊の御陵だと伝えられています【伝承】。

多賀大社(滋賀県犬上郡多賀町)

伊邪那岐大神・伊邪那美大神をお祀りし、「お多賀さん」と親しまれています。
古事記の「淡海の多賀に坐す」という記述とつながる神社とされ、『延喜式』にも載っている古社です。

伊弉諾神宮の住所が「淡路市多賀」なのも、面白い一致ですよね。
古事記の「多賀」がどちらを指すのかという議論は、この二つの神社の話にもつながっています。

江田神社(宮崎県宮崎市阿波岐原町)

伊邪那岐尊を主祭神に、伊邪那美尊をお祀りしています。
平安時代の歴史書『続日本後紀』や『延喜式』にも名前が見える古社です。
地名の「阿波岐原」のとおり、禊の場所の伝承地とされ、近くには伊邪那岐命が禊をしたと伝わる「みそぎ池」があります【伝承】。
「みそぎ発祥の地」として知られています。

筑波山神社(茨城県つくば市)

筑波山の二つの峰のうち、男体山に筑波男大神(伊弉諾尊)、女体山に筑波女大神(伊弉冊尊)をお祀りしています。
山そのものが、夫婦の神様の姿として敬われてきました。

おのころ島の伝承地(兵庫県南あわじ市など)

おのごろ島がどこなのかについては、いくつもの説があります。

  • 南あわじ市榎列(えなみ)の自凝島神社(おのころじまじんじゃ)がある丘
  • 淡路島の南にある沼島(ぬしま)。山そのものを御神体とする自凝神社があります(自凝神社(沼島)の記事)
  • 淡路島北端の岩屋港の絵島(えしま)
  • 淡路島そのもの

どの場所にも「ここがおのころ島だ」という伝承があり、一つに決めることはできません【伝承】。

「いちばん古い神社はどこか」も同じです。
伊弉諾神宮は「日本最古の神社」とも紹介されますが、それは神社側の伝承によるもので、ほかにも古い由緒を伝える神社はたくさんあります。
ここでは順位はつけないでおきますね。

古神道的な読み解き

記紀での立ち位置

伊邪那岐命は、造化三神などの別天神、そのあとの神世七代の最後に現れる神様です。
それまでの神様は「現れて、身を隠す」ばかりでした。
伊邪那岐命・伊邪那美命になって初めて、神様が「行動し、生み出し、別れ、清める」ようになります。
古事記の物語が本当の意味で動き出すのは、この二柱からなんです。

「生む」と「清める」

伊邪那岐命の物語は、前半と後半で性格ががらりと変わります。

  • 前半:伊邪那美命と二柱で、国と神々を生む
  • 後半:一柱で、黄泉の汚れを清め、清めの中から新しい神々を生む

前半の神様たちは「夫婦のむすび」から生まれ、後半の神様たちは「禊」から生まれます。
しかも、いちばん貴い三貴子は、後半の禊から生まれているんです。

研究者の見方

淡路島の海の民の神様だった?
伊邪那岐命は、もとは瀬戸内海の東部、淡路島を中心とする海の民がお祀りしていた神様だった、という説があります(國學院大學 神名データベース。松前健ほか)。
国生みの最初が淡路島であることや、伊弉諾神宮が淡路にあることとも重なります。

兄妹が始祖になる神話との比較
二柱が柱をまわって夫婦になる話は、東南アジアから東アジアに広く伝わる「兄と妹が人類の始祖になる」神話とよく似ていると指摘されています(大林太良ほか)。
ただし、そうした神話によく出てくる「洪水」の要素が、日本の神話にはないという違いもあります。

本居宣長と平田篤胤

本居宣長
宣長は『古事記伝』で、黄泉の国を「死者が行く、けがれた悲しい所」として、古事記の言葉どおりに受け止めました。
人は死ねば黄泉に行くもので、それは悲しいことだ、というのが宣長の考え方です。

平田篤胤
篤胤は『霊能真柱』で、これに異を唱えます。
死者の魂は黄泉に行くのではなく、この世のすぐそばにある目に見えない世界「幽冥(かくりよ)」にとどまり、大国主神のもとで生者を見守る、と考えました。
伊邪那岐命と伊邪那美命の別れの物語をどう読むかは、そのまま「人は死んだらどこへ行くのか」という問いにつながっているんです。

古神道の考え方との関わり

  • 禊(みそぎ)と祓(はらえ)=身と心の汚れを清めること
    伊邪那岐命の禊は、神道の清めの原点とされます。神社の手水(ちょうず)も、禊を簡単にしたものだといわれます。
  • 言霊(ことだま)=言葉に宿る力
    二柱は、声をかけ合う順番をやり直してから国生みに成功します。言葉を発する順序や作法が、結果を左右すると考えられていたことがうかがえます。
  • 産霊(むすひ)=生み出す力
    夫婦のむすびによる国生みと、禊による神生み。伊邪那岐命は、二つのやり方で「生み出す」神様です。

まこも考察

ここからはまこもの考察です。

伊邪那岐命の物語で、僕がいちばん心に残るのは、黄泉比良坂での「千人と千五百人」のやりとりです。

伊邪那美命が「一日に千人の命を奪う」と言ったとき、伊邪那岐命は言い争うのでも、あきらめるのでもなく、「それなら千五百人を生もう」と答えました。

失われるものより、生まれるものを少しだけ多くする。
これは、死を否定するのではなく、死を受け止めたうえで、それでも生きる側に立つという宣言のように思えるんです。

そして伊邪那岐命は、その足で禊に向かいます。
悲しみや汚れを抱えたまま立ち止まるのではなく、水で清めて、もう一度はじめからやり直す。
その禊の中から、天照大御神という光の神様が生まれてくる。

古事記は、「大きな喪失のあとでも、清めることで新しい光を生み出せる」ということを、伊邪那岐命の姿を通して語っているのではないでしょうか。
神社で祓詞を聞くたびに、僕はこの「やり直しの力」を思い出します。

他の神様とのつながり

  • 伊邪那美命(いざなみのみこと):妻であり、国生み・神生みを共にした女神様
  • 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・造化三神:伊邪那岐命より前に現れた、はじまりの神様たち
  • 天照大御神(あまてらすおおみかみ):禊で左目から生まれた、三貴子の一柱
  • 月読命(つくよみのみこと):禊で右目から生まれた、三貴子の一柱
  • 須佐之男命(すさのおのみこと):禊で鼻から生まれた、三貴子の一柱
  • 火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ):伊邪那美命の死のきっかけとなった火の神様
  • 建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ):迦具土神を斬った剣の血から生まれた神様
  • 住吉三神・綿津見神(わたつみのかみ):禊で生まれた海の神様たち

伝承・関連する話

【伝承】桃が魔除けになったのは

黄泉の国から逃げるとき、伊邪那岐命は桃の実を三つ投げて追っ手を退けました。
古事記では、伊邪那岐命はその桃に「意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)」という名前を授け、「私を助けたように、人々が苦しむときにも助けてやってくれ」と頼んでいます【史料】。

桃には邪気を払う力があるという考え方は、中国から伝わった思想の影響もあるとされます。
ひな祭りに桃の花を飾るのも、こうした考え方とつながっていると言われています【伝承】。

【噂・俗説】「黄泉比良坂は実在する」

島根県松江市(旧東出雲町)には「黄泉比良坂」とされる場所があり、大きな岩が置かれています。
古事記に「その黄泉比良坂は、今の出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)である」と書かれていることから、この地が伝承地とされてきました。

ネットでは「ここはあの世の入り口だ」と語られることもありますが、あくまで古事記の記述にもとづく伝承地です。
なぜこの場所がそう呼ばれるようになったのか、神話と土地の結びつきを考える入り口として訪ねるのがよさそうです。

まとめ

  • 伊邪那岐命は、伊邪那美命とともに日本の島々と多くの神様を生んだ、国といのちの親神様です。
  • 古事記では、妻を追って黄泉の国へ行き、戻って禊をして、天照大御神たち三貴子を生みました。
  • 日本書紀の本文では、伊弉冉尊は亡くならず、三貴子は二柱で一緒に生みます。黄泉の話は異伝にだけ出てきます。
  • 最後に鎮まる場所は、古事記では「淡海(近江)の多賀」、日本書紀では「淡路の幽宮」。それぞれ多賀大社と伊弉諾神宮につながっています。
  • 禊の場面は、今も神社で唱えられる祓詞の中に生きています。

生み、失い、清め、もう一度生み出す。
伊邪那岐命は、日本神話の中でいちばん「人間らしい」旅をした神様なのかもしれません。

よくある質問(FAQ)

Q. 「いざなぎ」と「いざなき」、どちらが正しい読み方ですか?
A. 古事記・日本書紀の書き方では「き」は濁らない音で、古くは「いざなき」と読まれていたと考えられています。現在は「いざなぎ」と読むのが一般的で、どちらも使われています。

Q. 伊邪那岐命と伊邪那美命は、最後にはどうなったのですか?
A. 古事記では、黄泉比良坂で岩をはさんで別れの言葉を交わし、そのまま別々の世界に分かれました。伊邪那岐命は「淡海の多賀」に鎮まったと書かれています。

Q. 日本書紀では、なぜ伊弉冉尊が亡くならないのですか?
A. はっきりした理由は分かっていません。日本書紀は、本文のほかにたくさんの異伝(一書)を並べる書き方をしています。伊弉冉尊の死と黄泉の国の話は、その異伝の中に残されています。

Q. 伊邪那岐命の神社にお参りすると、どんなご利益がありますか?
A. 多賀大社では延命長寿・縁結び・厄除けの神様として、伊弉諾神宮では夫婦円満や縁結びを願う神様として参拝する人が多いとされます。国土と神々を生んだ「親神様」として敬われています。

この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。

出典・参考文献

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