
この記事で分かること
倭比売命(やまとひめのみこと)は、伊勢の神宮のはじまりに深く関わった皇女です。
天照大御神をお祀りするのにふさわしい場所を探して、各地を旅しました。
そして、甥の日本武尊が泣きながら訪ねてきたとき、草薙剣を授けて送り出したのも倭比売命でした。
伊勢の神宮と日本武尊の物語をつなぐ、この皇女のお話をします。
倭比売命を一言でいうと
天照大御神の鎮まる地を探して旅をし、伊勢の神宮を開いた皇女です。
神宮の公式サイトでは、倭姫命は神宮の祭祀と経営の基盤を確立した方として紹介されています。
名前の意味を見てみよう
- やまと(倭):大和の国
- ひめ(比売・姫):女性の尊称
古事記では「倭比売命」、日本書紀では「倭姫命」と書かれます。
シンプルに「大和の姫」という名前ですね。
倭比売命のプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 読み | やまとひめのみこと |
| 表記 | 倭比売命(古事記)/倭姫命(日本書紀) |
| 父 | 垂仁天皇(第11代天皇) |
| 母 | 日葉酢媛命(ひばすひめのみこと) |
| 役目 | 天照大御神の「御杖代(みつえしろ)」 |
| 甥 | 日本武尊(兄・景行天皇の子) |
| 主な神社 | 倭姫宮(伊勢市・皇大神宮の別宮) |
どの文献に出てくる?
古事記【史料】
古事記の垂仁天皇の段には、御子たちの名前とともに、こう書かれています。
次倭比賣命者、拜祭伊勢大神宮也。
(『古事記』中巻・垂仁天皇記)
「次に倭比売命は、伊勢の大神の宮をお祀りした」。
とても短い一文ですが、倭比売命が伊勢の神宮に仕えたことがはっきり書かれています。
そして古事記は、甥の倭建命(日本武尊)が東へ向かう前に伊勢に立ち寄り、倭比売命に「天皇は私に死ねと思っていらっしゃるのでしょうか」と泣いて打ち明ける場面を描いています。
倭比売命は、草那芸剣と袋を授けて、「もし急なことがあったら、この袋の口を解きなさい」と言いました。
くわしくは日本武尊の記事で紹介しています。
日本書紀【史料】
日本書紀の垂仁天皇25年3月の条には、倭姫命が伊勢にたどり着くまでの旅が書かれています。
天皇は、天照大神を豊耜入姫命(とよすきいりびめのみこと)から離して、倭姫命に託しました。
倭姫命は、大神の鎮まる場所を求めて、大和の菟田(うだ)の筱幡(ささはた)へ行き、戻って近江国に入り、東の美濃をめぐって、伊勢国に着きました。
そのとき、天照大神は倭姫命にこう教えました。
是神風伊勢國、則常世之浪重浪歸國也、傍國可怜國也。欲居是國。
(『日本書紀』巻第六 垂仁天皇二十五年)
読みやすくしてみると、「この神風の伊勢の国は、常世からの波が、重なって寄せてくる国である。都から離れた国だけれど、美しい国である。この国にいたいと思う」。
そこで大神の教えにしたがって、伊勢国に祠を建て、五十鈴川のほとりに斎宮を建てた、と日本書紀は書いています。
日本書紀には、「一説には」として、倭姫命がいったん天照大神を磯城の厳橿(いつかし)のもとにお祀りし、そののち神のお告げにしたがって伊勢国の渡遇宮(わたらいのみや)に遷した、という伝えも載っています。
日本武尊に草薙剣を授ける【史料】
日本書紀でも、日本武尊は東征の途中で伊勢の神宮に立ち寄り、倭姫命にあいさつをします。
於是、倭姬命取草薙劒、授日本武尊曰「愼之。莫怠也。」
(『日本書紀』巻第七 景行天皇四十年)
「そこで倭姫命は草薙剣を取って日本武尊に授け、『気をつけなさい。油断してはいけませんよ』と言った」。
叔母さんらしい、やさしくも厳しいひと言ですね。
古史古伝での扱い
古史古伝での倭比売命の扱いについては、内容を確かめられる資料が見つからなかったため、この記事では紹介を控えます。
御杖代と元伊勢
御杖代(みつえしろ)とは
神宮の公式サイトによると、「御杖代」とは、天照大御神の御心を体して仕える方のことです。
倭姫命は、崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命の後を継いで御杖代として天照大御神に仕え、大御神をいただいて大和国を出発し、伊賀・近江・美濃などの国々を経て伊勢に入り、神のお告げによって今の地に皇大神宮を創建した、とされています。
元伊勢
天照大御神が伊勢に鎮まるまでに、一時的にお祀りされた場所を「元伊勢(もといせ)」と呼びます。
神宮の公式サイトによると、延暦23年(804年)に神宮から神祇官に提出された『皇太神宮儀式帳』には、豊鍬入姫命と倭姫命の巡行の記録があり、14か所のゆかりの地が挙げられているそうです。
神宮の基盤を定める
神宮の公式サイトでは、倭姫命は皇大神宮の鎮座ののち、
- 神嘗祭(かんなめさい)をはじめとする年中の祭りを定め
- 神田や御料品を奉る神領を選び
- 禰宜・大物忌などの奉仕者の役目を定め
- 斎戒や祓の法を示し
- 神宮に属するお社を定めた
と紹介されています。
今に続く伊勢の神宮のお祭りの形は、倭姫命のときに基礎が作られた、と伝えられているんです。
御神徳(ご利益)
伊勢の神宮を開いた方として、また長い旅をやり遂げた方として、旅の安全や、物事の基礎を固めることを願ってお参りする人がいます。
祀る主な神社
- 倭姫宮(三重県伊勢市楠部町):皇大神宮(内宮)の別宮。内宮と外宮を結ぶ御幸道路の中ほど、倉田山に鎮座する
神宮の公式サイトによると、倭姫命のご功績をたたえて、大正の初めから神宮司庁と宇治山田市(今の伊勢市)がお宮の創立を願い出て、大正10年(1921年)に皇大神宮の別宮として創立が許され、大正12年(1923年)11月5日に鎮座祭が行われました。
伊勢の神宮の中では、とても新しいお宮なんです。
古神道的な読み解き
神様の「杖」になる
「御杖代」は、文字どおりに読むと「杖の代わり」です。
神様が旅をするとき、その杖となって支え、神様の御心にしたがって歩く。
倭比売命は、神様と人とのあいだに立って、神様の居場所を見つける役目をになっていたんですね。
のちの時代、伊勢の神宮には、天皇に代わって未婚の皇女が仕える「斎宮(さいくう)」の制度ができます。
倭比売命は、その斎宮の伝説上のはじまりとされています。
「常世の浪」の国
天照大神が伊勢を選んだ理由は、「常世からの波が重なって寄せてくる国」だからでした。
常世は、海のかなたにあると考えられた、永遠の世界です。
伊勢は、その常世とつながる海辺の国だった。
太陽の神様が鎮まる場所として、海のかなたから光が差してくる東の海辺が選ばれたのは、とても美しい話だと思います。
まこも考察
ここからはまこもの考察です。
倭比売命は、二つの大きな「旅」に関わっています。
一つは、自分自身の旅。
天照大御神の居場所を求めて、国々をめぐり、伊勢にたどり着いた旅です。
もう一つは、甥の日本武尊の旅。
泣きながら訪ねてきた日本武尊に、剣と袋を渡して送り出しました。
倭比売命自身が長い旅をした人だったからこそ、旅に出る日本武尊の不安が分かったのではないでしょうか。
袋の中身は火打石でした。
「急なことがあったら開けなさい」と言って、中身を教えずに渡す。
それは、旅の先で本当に困ったとき、自分で道を開けるように、という叔母さんの知恵だったのだと思います。
居場所を探す旅をやり遂げた人が、居場所を探す若者の背中を押した。
倭比売命は、神様にとっても人にとっても、「道しるべ」になった方なのかもしれません。
ちなみに僕は、旅行の荷造りで「念のため」を入れすぎて、毎回カバンが閉まらなくなるので、袋一つで送り出す倭比売命の潔さを見習いたいです。
他の神様とのつながり
伝承・関連する話
【伝承】『倭姫命世記』
神宮の公式サイトによると、『倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)』は、倭姫命の各地の巡行や、外宮が遷座した由来などを記した書物で、「神道五部書」の一つです。
鎌倉時代ごろに成立したと考えられている書物で、記紀とは別に、倭姫命の旅がくわしく語られています。
【伝承】真奈胡神と三瀬の渡し
神宮の公式サイトによると、倭姫命の一行が宮川の急流に困っていたとき、真奈胡神(まなごのかみ)が出迎えて川を渡してくれました。
倭姫命はその場所に真奈胡神をお祀りするお社を定め、これが今の皇大神宮摂社・多岐原神社だと伝えられています。
まとめ
- 倭比売命は、垂仁天皇の皇女で、天照大御神の御杖代として仕えました。
- 天照大御神の鎮まる場所を求めて、大和から近江・美濃などをめぐり、伊勢にたどり着きました。
- 天照大神は伊勢を「常世の浪の重浪帰する国」として選んだ、と日本書紀は伝えています。
- 甥の日本武尊に草薙剣と袋を授けて送り出しました。
- 伊勢市には、倭比売命をお祀りする倭姫宮(大正12年鎮座)があります。
神様の杖となって旅をし、若者を送り出した皇女。
伊勢の神宮にお参りするとき、その道のりを歩いた倭比売命のことも、少し思い出してみてくださいね。
よくある質問(FAQ)
Q. 倭比売命と倭姫命は同じ方ですか?
A. はい。古事記では「倭比売命」、日本書紀では「倭姫命」と書かれています。
Q. 御杖代とは何ですか?
A. 神宮の公式サイトによると、天照大御神の御心を体して仕える方のことです。
Q. 元伊勢とは何ですか?
A. 天照大御神が伊勢に鎮まるまでに、一時的にお祀りされた場所のことです。
Q. 倭比売命をお祀りする神社はありますか?
A. 三重県伊勢市の倭姫宮で、皇大神宮(内宮)の別宮です。大正12年に鎮座しました。
この記事は、古事記・日本書紀などの原典や、ネット上の資料を参考にまとめ、まこもが考察を加えたものです。考察の部分は「まこも考察」として書き分けています。
出典・参考文献
- 『古事記』中巻(垂仁天皇記・景行天皇記)原文
- 『日本書紀』巻第六(垂仁天皇)・巻第七(景行天皇)原文
- 神宮 公式サイト「域外の別宮(倭姫宮・瀧原宮ほか)」 https://www.isejingu.or.jp/about/outerbetsugu/


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